トレーニングをする反町公紀選手(写真左、2019年1月撮影)

トレーニングをする反町公紀選手(写真左、2019年1月撮影)

オリーブオイルでニンニクを炒めている香りが店内に漂っている。
香ばしさに誘われて、唾液が舌の裏側に染み出していくのが分かる。
JR高崎駅から車で5分ほどの場所にある古民家風の店は、パスタ専門店として地域では人気らしい。
反町公紀と、母親の由美さん、そして私の3人は、一番奥のテーブル席に通された。私たちが席についた後も、次から次へ家族連れやカップルが入ってきて、店内はほぼ満席になっている。

公紀が注文したカルボナーラは、白い器に盛られて運ばれてきた。
「う~ぅ」
公紀の口から洩れた声は、「腹、減ったぁ」か、「わぁ、うまそう」か。そんな感じだ。
由美さんが、鞄の中からキッチン鋏を取り出し、カルボナーラの器に立てるよう入れた。
「ふぅ~」
公紀の声は「早く、早く」と急かしているように聞こえる。
由美さんは、1本20センチほどの長さの麺をサクッ、サクッと切りこんでいく。
5センチ程度に刻まれたことで、麺の山はいくらかなだらかになった。
ペーパーナプキンで鋏の刃についた白いソースを拭っていると、私の注文したパスタも運ばれてきた。

交通事故に遭うまで、公紀の利き手は右手だった。
その右手は硬縮している。
硬く閉じて固まっている手では、物を持ったり、掴んだりすることは難しい。
かといって、左手もスムーズに動かせているわけではない。
公紀は、左手に握ったフォークで、ゆっくりと麺をすくうようにしてまとめていた。
自分の顏を皿のほうへ近づけて、がっがっと口の中へ掻き込んでいる。

口に入った麺は、飲み込む時に喉の奥で突っかかるのだろう。
公紀は、時折、ゴホッゴホッと咽せる。
私は、「大丈夫?」と視線を送ったが、公紀の視線はカルボナーラに注がれていて、こちらに気づいていない。
咽るのを気にしている様子はないので、これは、いつものことらしい。

「一人で、気ままに、好きなものを外食したいと、思うことはある?」
これまで様々な質問をしてきたが、公紀にそう尋ねたことはない。
左手で、キッチン鋏を使って、ちょうどよい長さに麺を切るのは、難しそうだ。
器から麺が飛びだし、散らかってしまうだろう。
もし、一人で外食するなら、店員に料理を細かくしてもらう、ひと手間をお願いしなくてはならない。
それをお願いするにも筆談になる。
気心のしれた店員が働いている店でなければ、「気ままに」という気分にはなれないだろう。
他人に頼む煩わしさを避けるため、キッチン鋏のひと手間をかけてくれる誰かを同行すれば、「一人で」ではなくなる。
「一人で、気ままに外食する」という望みを叶えるのは、簡単ではなさそうだ。

公紀は2018年10月、20歳になった。
年が明けて、ちょうど1週間ほど前に成人式を済ませたそうだ。
母親の由美さんの話では、中学時代の同級生たちの多くは、大学生になっている。
現役合格なら大学2年生だから、そろそろ就職についても考え始めている頃かもしれない。
公紀は、同級生たちの動向を気にすることがあるのだろうか。
障害者就労支援事業所に通い、パソコンの操作などを学びながら、パラ陸上のトレーニングをしている自分と、大学や専門学校に進学した友達と比べることがあるのだろうか。

そもそも、彼は、自分の将来について、どう考えているのか。
私は、1週間に1回のペースで、公紀とLINEを交わしている。
そのやりとりの中で、将来に関わることを聞いてみたことがある。公紀の誕生日の後で送ったLINEだ。

「公紀くん、20歳は大人ですね。公紀くんは、自立について考えたことはありますか?」
既読になって、すぐに、公紀からの返信があった。
「自分からやることになる」

自立という言葉の意味を考えたようだ。公紀にとって、自立とは、「自分からやること」だと言っている。
私は、質問を重ねた。
「公紀くんは、何を、自分からやるの?」
具体的に何をすることが、公紀の自立になるのか。彼の考えを聞きたかった。
「洗濯機するとかいっている。洗濯物畳になっている」

脇腹を肘でちょんちょんと小突かれたような気がした。
腹の底から、ふふふっという笑いが沸いて、鼻の穴から息がこぼれた。
彼は、取り繕って答えることはない。自分が思ったことをそのまま話していると思う。
自立とは、自分からやること。
自分からやるのは、洗濯機を回して衣類を洗い、乾いた洗濯物を畳むこと。
私にとって、自立とは、進学して親元から離れて一人暮らしをすることや、就職して経済的に独立することだった。
それを公紀に当てはめて考えようとしていたのかもしれない。
公紀の答えは、私が考えていた自立とは異なっていた。
(つづく)

(取材・執筆・撮影:河原レイカ)