鍼灸士による施術を受ける反町選手(脳梗塞リハビリセンター大宮、2018年8月)

鍼灸士による施術を受ける反町選手(脳梗塞リハビリセンター大宮、2018年8月)

テーブルにコーヒーが運ばれてきた。
空になったパスタの器を店員が片づけたのを見計らって、私は取材用のノートを広げた。
公紀には、私が聞きたいと思っていた話題を、3日ほど前にLINEで知らせている。
今日のインタビューに備えて、公紀は答えを考えてまとめてきたようだ。

「公紀くんの高次脳機能障害の中で、一番、困ることは何ですか?」
公紀が、高次脳機能障害のどのような点に困っているのか。
20歳になったタイミングで、改めて尋ねた。
100円ショップで購入したというノートサイズのホワイトボードに、公紀がマジックペンで答えを書き始める。
ペンのインクは残り少ないようで、黒い線がかすれながら、ゆっくり伸びていく。
由美さんは、自身のスマホの画面に集中している。
公紀に対して、「あなたのインタビューなのだから、自分で答えなさい」という姿勢を示しているようだ。

「まずは、聞いて、頭のわからないので時が言葉にすごいかないです」
これを私の解釈で書き換えると、「言葉にすごいかない」は、「言葉にすぐいかない」。
つまり、「言葉にすぐ結びつかない」ということだろう。
公紀は、相手の話を聞いた時、音は聞こえていても、その音が頭の中で言葉と結びつかない。
相手が口を開けて自分に向かって音声を発する様子を見て、「自分に話しかけられている」ことは分かる。
耳から音声も聞こえている。
しかし、何を話されているのかは分からない。
相手に文字で書いてもらうことで初めて、話の内容を理解できる。
そのための時間と手間が必要になる。
公紀は、耳から聞こえている音声が頭の中で言葉に結びつかないことに、日々、もどかしさを感じているのかもしれない。
高次脳機能障害で一番困ることとして、まず、第一にコミュニケーションの問題を挙げた。

2つ目の質問は、「公紀くんは、パラ陸上をしていますが、なぜ、陸上を選びましたか?」だ。
取材の中で、障害者スポーツの選手に競技を始めた理由を尋ねると、「他の選手から誘われた」や「病院やリハビリの関係者から勧められた」と言う選手が多い。身近な人の一声や、地域で活動するスポーツチームがあることが、始めるきっかけになるようだ。

同じ障害を持つ仲間と出会えることは有意義だという人もいる。
障害者スポーツには、障害の特性を踏まえて考案された競技がある。
例えば、パラリンピック競技のうち、5人制サッカー(ブラインドサッカー)やゴールボール、柔道などは、視覚障害者の競技だ。
車いすテニスや車いすバスケットボールは、車いす使用者が出場する。
同じ障害を持つ人同士だからこそ言いあえることがあり、日常生活の悩みの相談もできる。
競技を通じて、密な人間関係がつくれることがあるそうだ。

最近では、テレビでパラリンピックの選手を見て憧れて、競技を始めたという選手もいる。
2020年の東京パラリンピックに向けて、行政と障害者スポーツ協会がパラリンピック選手発掘事業を主催しており、体験会に参加したことがきっかけになる場合もある。

例えば、東京都主催で8月に開催される選手発掘事業では、参加者がカヌー、ボート、自転車、柔道、車いすフェンシングの5競技を体験できる。
こうした機会には、各競技団体の関係者が来ている。
競技関係者から「やってみないか」と声を掛けられたことが、本格的に競技を始めるきっかけになることもある。

公紀にも、パラ陸上を始めたきっかけや理由があるだろう。
公紀は、なぜ、パラ陸上を選んだのだろうか。
しばらくの間、宙で止まっていた黒いマジックペンの先が下へ向いた。
インクを絞り出すように、ペン先をゆっくりホワイトボードに擦りつけて、文字を書いていく。
「ラグビーをやりたかったけど、やれなくなったから」

公紀は、幼児の頃から、兄の後を追いかけて地域のラグビーチームに入っていた。
母親の由美さんは学生時代にラグビー部のマネジャーをしていた経験があった。
高崎市には幼児から参加できるラグビーチームがあり、体力が有り余っている子だった公紀にもラグビーをさせてみようと考えた。
由美さん自身も女子のラグビーチームに入った。毎週日曜日は、親子3人でラグビーの練習に参加するのが日課だったという。

障害のある身体になっても「ラグビーをやりたい」が、公紀の本音なのだろう。
パラリンピックにもラグビーはあるが、車いすの選手のための「ウィルチェアーラグビー」であり、障害のない人がプレーするラグビーとはルールがかなり異なる、まったく別の競技と考えてよい。

公紀が幼い頃から親しんでいたラグビーをするには、障害のない人と一緒にプレーすることになる。
右半身に麻痺があることや、高次脳機能障害によるコミュニケーションの問題を考えると、それはなかなか難しそうだ。

(つづく)

(取材・撮影:河原レイカ)