2019世界パラ陸上選手権大会日本代表合宿 2019/10/01 屋島レグザムフィールド

待ち合わせは、北海道・網走駅近くにあるホテルの1階ロビーだった。朝食で混雑する時間帯は過ぎたようで、奥のレストランからロビーに出てくる人の気配はない。少し照明を落としているためか、閑散として見える。ソファの脇に、日常生活用車いすに座っている鈴木朋樹の姿が見えた。

黒いキャップを目深に被り、セルフサービスで提供されているホットコーヒーを紙コップに注いでいる。「おはようございます」と声をかけながら近づいていく私に、軽く頭を下げて会釈をしたものの、その後、何も言わずに黙っている。今日の練習について鈴木が何か説明をするだろうと思い、コーヒーが運ばれている口元から次の言葉が出てくるのを待っていたが、沈黙が続いた。

何かが、違う。

1年半前、所属先であるトヨタ自動車の会議室でインタビューした時。

1年前、インドネシアのジャカルタで開催されたアジアパラ競技大会のレースの後で、話を聞いた時。

2カ月ほど前、岐阜県で開催されたパラ陸上の国内大会で声をかけた時。

それらの時の鈴木と、今日の鈴木はどこか違った。

もともと積極的に場を盛り上げるようなタイプではない。パラ陸上の大会で報道陣に囲まれていた時、聞かれたことにはきちんと答えるが、それ以上の話はしなかった。どちらかといえば、言葉数は少ないほうかもしれない。ただ、愛想が悪いわけではない。いつも淡々としており、感情の起伏をあまり表に出さないだけ。そう思っていた。

しかし、今日の鈴木は、全身の神経がピリピリ尖っているのを隠そうとしていなかった。触れただけで指が切れてしまいそうな空気をまとっている。

私は、背負っていたカメラバッグを慎重に床に下ろした。

2019年9月。

鈴木は、北海道・網走の地で個人合宿を組んでいた。都内在住で普段は千葉県浦安市の競技場を練習拠点にしているのだが、ラグビーワールドカップが開催される関係で浦安市の競技場が使えなくなったという。

11月にはアラブ首長国連邦の首都ドバイでパラ陸上世界選手権が開催される。世界選手権までの期間、確実に練習できる場として、以前にも合宿した経験のある網走を選んだと聞いていた。

2019年のパラ陸上世界選手権は、2020年の東京パラリンピックの前哨戦と位置づけられている。

世界選手権で海外の強豪選手たちと拮抗する走りができれば、東京でのメダルも見えてくる。逆にいえば、世界選手権で海外の強豪選手と大きな差をつけられると、パラリンピック開幕までに、その差を埋めなくてはならない。世界選手権が終わると、東京パラリンピック開幕まで残り約9カ月。残された時間は、1年もない。

初出場となるパラリンピック、その前哨戦となる世界選手権に、鈴木はどんな思いで臨むのだろう。世界選手権までの1カ月半、どのような準備をしていくつもりなのか。

トヨタ自動車の窓口を通して取材の約束を取り付け、私は網走まで訪ねていった。

ホテルのエレベーターの扉が開き、50~60代の女性2人が降りてきた。甲高い声のやりとりが、ロビーの静けさを一掃した。日本語ではない言葉、中国語のようだ。2人が何を話しているのかは分からないが、これから出かける観光地について相談でもしているようだ。彼女たちが玄関を出ていくと、再び、ロビーに静寂が戻った。

鈴木は、黙ってコーヒーを口に運んでいる。私は、何から話を始めてよいのか分からず、待つよりほかになかった。鈴木との間に、これほど気まずい空気が流れたことは、これまでにない。

何か気に障ることでもあったのだろうか。それとも、私が書いた取材依頼文に失礼な表現があったのか。記憶をたどってみるが、特に思い当たることはなかった。

空になった紙コップをゴミ箱に落として、

鈴木が、ようやく口を開いた。

「…これから競技場に行きます」

目の前にいる私の姿が視界に入っているはずだが、鈴木の意識は、私のほうには向いていない。どこか別のところに向けたままになっているようだ。

「…よろしくお願いします」

日常生活用の車いすがホテルの駐車場に向かって進み始めた。その後ろを、私は黙ってついていった。

(取材・執筆:河原レイカ)

(写真提供:小川和行)