パラ陸上・車いす男子T54クラスには、2020年東京パラリンピックでの活躍を期待されている二人の“トモキ”がいる。一人は、短距離(100m、200m)をメイン種目とする生馬知季(いこま・ともき)選手(グロップサンセリテ WORLD-AC所属))。もう一人は、中長距離をメインとする鈴木朋樹(すずき・ともき)選手(トヨタ自動車所属)だ。


■企業所属のアスリートとしてのスタート

東京・飯田橋駅近くにあるトヨタ自動車の東京本社。
塵一つない1階のフロアには、磨き上げられた新車が飾られている。
受付で訪問者用のバッチを受け取り、それを胸につけて、エレベーターに乗った。

インタビューのために用意された会議室は、赤やオレンジの暖色がグラデーションになっている抽象画が飾られている。
左右に3名ずつ座れるテーブルの真ん中を選んで座ると、スーツに身を包んだ鈴木朋樹が現れた。
一回り体が大きくなったのだろう。
大学時に購入したというスーツの上着は、腕回りや胸の辺りが窮屈そうだ。
鈴木は2017年4月にトヨタ自動車に入社。
アスリートとして雇用されているが、競技に専念するのではなく、社内業務にも携わるかたちを選んだ。
鈴木にとって、2017年は、社会人としてのスタートを切った年だった。

「大学生の頃は、楽しみながら陸上競技をしてきましたが、4月から社会人となり、トップ選手として競技をやっていかなければならなくなりました。大会で結果を出せなければ、『トヨタの選手はこんな程度か』と思われてしまう。そういうプレッシャーがありました」
綺麗に揃った前髪の下で、小鹿のような丸い目がまっすぐこちらを見る。
韓国映画で主演をしている俳優に似ているかもしれない。
唇を結ぶと口角が少し上がり、穏やかな微笑がのぞいた。
陸上競技場で報道陣に囲まれている時も、レースの後に同年代の選手たちと談笑している時も、そして会社員である時も、鈴木の表情はそれほど変わらない。
しかし、プレッシャーを口にした瞬間の鈴木は違った。
話しているうちに過去に味わった感情が蘇ったのかもしれない。結んだ唇は一直線になっている。

アスリートとして雇用された選手は、所属企業から結果を期待される。
オリンピックもパラリンピックも同じ。分かりやすい結果は、メダルを獲得することだ。
2017年の最も重要な国際大会は、7月にロンドンで開催されたパラ陸上世界選手権だった。
鈴木はメイン種目と位置づけている800m、1500mで決勝進出を果たしたが、メダルには手が届かなかった。
4月に入社したばかりの新入社員に、世界選手権でのメダル獲得が期待されていたのだろうか。
同僚や上司あるいは役職に就いている人々から掛けられる激励の言葉が、鈴木には重荷になったのか。
プレッシャーの重さは、背負った者にしか分からない。どうすれば、それから逃れられるのか。
逃れられないとしたら、どう向き合えばいいのだろうか。

「2020年に向けて、朋樹君への期待は高まりますよね。会社の人だけでなく、もっとたくさんの人たちから期待されるようになるし、そうしたら、プレッシャーは、もっと強くなってくるのではないですか?」

2017 ジャパンパラで走る鈴木朋樹選手

2017 ジャパンパラで走る鈴木朋樹選手

■「しっかり者」の少年
鈴木朋樹が走る姿を初めて見たのは、2014年4月、長野車いすマラソンだ。
頬を撫でていく風は痺れるように冷たかったが、私は手袋をはずしてカメラを構えた。
パラリンピック出場経験のある国内トップ選手たちが、上腕の太い筋肉をしならせ、肩甲骨とその周囲の筋肉を大きく動かして、次々とゴールに入ってきた。
競技用車いす(レーサー)のタイヤが、アスファルトの上を擦り、シューッという音を立てて近づいてくる。
背骨を縦の軸にして両肩を横に広げるような骨の動きは、これから空へ飛び立とうとする鳥が翼を羽ばたかせている動きに似ていた。
力強く羽ばたきながら近づいてくる選手たちは、レーサーを漕ぐたびに、お辞儀する時のように上体が前傾する。その体が再び、正面を向いて起き上がる瞬間を狙ってシャッターを切った。大人たちが数人、勢いよく通過した後、一人の少年が走ってきた。体の線が細く華奢な印象がするが、弱々しくはない。少年は、楽しそうに、軽やかに、私の目の前を駆け抜けていった。それが鈴木朋樹だった。

鈴木よりも前でゴールしたのは、パラリンピック出場経験のある選手ばかりだった。
7位入賞の鈴木からは喜び声が聞けると思っていたが、その予想は外れた。
「50分を切るという目標は達成できたんですけど、レース展開については、もう少し、勉強すべき点があったと思います」
5~6名の選手で構成していた2位集団で走っていたが、レースの後半、他の選手たちがスピードを上げて前に出た時、一緒に付いていけなかった。鈴木は、上位の選手と比べて自分に何が足りなかったかを説明した。
齢は若いのに、ずいぶん、しっかりしている。それが鈴木の第一印象だった。

「しっかり者」の鈴木は、トヨタ自動車への入社にあたり、自ら気を引き締めていたはずだ。
プレッシャーがあることも承知していたに違いない。そうは言っても、学生と社会人では、役割やそれに伴う責任が大きく違う。
所属企業から練習環境や遠征費用など手厚いサポートをしてもらうぶん、結果で返さなければと意気込んでもおかしくはない。
「自分は、流されてしまっていたと思います。世界選手権の頃を振り返ると、陸上を楽しめていなかったんです。好きでやってきた陸上だったのに、就職して、いろいろなプレッシャーを感じてしまい、まったく楽しめない状態になりました」
ポツリと吐き出すと胸のつかえがとれたのか、鈴木の口元は緩んだ。

「でも、世界選手権の後、さまざまな大会に出るうちに、少しずつ気持ちが変わってきたんです。トヨタ自動車では社会貢献推進部に所属して、個人の活動についてブログに書いて報告することをしています。自分が発信したことをきちんと読んでくださって、メダルという結果が出なくても、鈴木朋樹個人を見て応援してくれている方がいることが分かりました。結果は出さなければいけないけれど、結果に関わらず、きちんと自分を理解してくれている人がいると思えるようになりました」
企業所属のアスリートである限り、結果を出さなければならないというプレッシャーは、永遠についてまわる。
鈴木は、プレッシャーに対処する術を一つ、見つけたのかもしれない。

「もちろん、2020年の東京が近づくにつれて、無言の圧力みたいなものは増えてくると思いますし、そうしたプレッシャーからはやはり逃れられないとも思います。でも、結果に関わらず、鈴木朋樹個人を見て理解してくれる人たちがいるからそれでいいと、気持ちを切り替えられるようになりました。自分は、スポーツ選手である前に、一人の人間だと思っています。陸上は、いつか辞める時が来ます。その時に、使えない人間だと思われたくない。走ることだけの人間だとは思われたくはないんです。社会で通用する人間になれるように、いろいろな経験をしておきたいんです。それを実現してくれるのが、会社です。トヨタ自動車に採用していただいて、組織の一員として扱われることがなかったら、自分は、そういうことに気がつかないままだったかもしれません」

■リオへの悔しさを胸に
鈴木は、2016年のリオ・パラリンピック出場を目指していた。大学4年の夏。リオ・パラリンピック開幕の約2カ月前、町田市で開催された関東パラ陸上競技大会の800m決勝で、鈴木は1分33秒34のアジア新記録を出した。しかし、それまでの実績を基に評価された結果、鈴木は、リオ・パラリンピック日本代表選手には選ばれなかった。

「正直にいうと、リオ・パラリンピックの前までは、リオに出場できなければ、東京パラリンピックに出る資格はないと考えていたんです」
2人だけの会議室に、鈴木の声が、静かに響いた。
鈴木が第一目標に掲げているのは、2020年の東京パラリンピックでメダルを獲ることだ。
それは、以前も、今も、変わらない。
ただ、鈴木にとって、その第一目標を達成するための過程で、リオ・パラリンピック出場は、絶対に欠かすことのできないものだった。

しかし、リオの出場を逃したからといって、第一目標の達成が不可能になるわけではないだろう。
「朋樹君の場合は、リオに出られなくても、東京パラリンピックで目標を達成できたらいいということになりますよね。もちろん、リオに出られていたら良かったですけど。出られなくても、次がありますから」
慰めでも、励ましでもなく、心からそう思った。
鈴木の声に、腹の底から出したような力が、ぐっと加わった。
「2020年の東京でパラリンピック初出場になった場合、そこで結果を出せなくても、出場したことだけで取り上げられてしまうと思ったんです。もっと厳しい目を、自分に向けてほしい。リオ・パラリンピックに出場しておけば、仮にリオで結果を出せなかったとしても、2度目の東京パラリンピックは、もう言い訳はできない。東京では絶対に結果を出さなくてはいけない。そういうふうに2020年に向けて自分を追い込んでいけると思っていたんです。それで、リオ・パラリンピック出場を大事に思っていました」。

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鈴木は、やはり「しっかり者」だ。
東京パラリンピックでのメダル獲得を目標に掲げた時から、いつまでに何を達成するべきか逆算していたのだろう。
「もし、リオに出場できていたとしても、リオで活躍できるだけの競技力、メンタル、体力を持っていなかったと考えています。もちろん、悔しかったです。でも、リオに出られなかったなら、出られなかった分、別の経験を積んでいこうと考えました」。
鈴木の言葉が、弾んで聞こえる。唇を閉じると、口角が少し上がる。
鈴木につられ、私も少し口角を上げてみた。
「2020年に向けて、どんなステップを踏んでいこうと思っているんですか?」
鈴木の瞳の奥に、光が見えた。
「2017年は、ロンドンマラソンをはじめ6大メジャーのマラソンにもいくつか出場しました。メインの種目は800mですが、マラソンは42.195キロあり、1時間30分ほど走るので、他の選手の動きを見て、レースの組み立て方をじっくり考えることができます。そういう経験をしておこうと思いました。米国の有力選手が拠点にしているイリノイ大学の合宿にも参加させていただきました。これからも、どんどん海外に出て、経験を積んでいこうと思っています」

リオ・パラリンピック出場を逃したことも、一つの経験だ。
鈴木の上腕は筋肉を蓄え、年輪を重ねるように太くなり、胸板もずいぶん分厚くなった。
スーツよりも、日の丸のユニフォームが似合うはずだ。
大人たちを追いかけて走っていた華奢な少年は、もう、いない。
彼は、誰よりも前へ出て、走るつもりだ。
胸の中で熱い闘志を燃やすアスリートが一人、口角を少し上げて、穏やかに微笑んでいた。

【取材・執筆:河原レイカ】