木山由加選手 ドバイで開催されたパラ陸上世界選手権( 2019年11月撮影)

「本当に残念だったね」では、軽すぎる。

「これから、また、頑張ればいいじゃない」などと言ったところで、励ましにならないだろう。私は彼女に対して、一体、何を頑張れと言うのか。掛ける言葉がないというのは、こういうことだと知らされた気がした。

パラ陸上・車いすの木山由加選手からLINEにメッセージが入ったのは、2019年12月初旬のことだった。

聞きたいこと、話したいことがあるから、直接、電話をしても構わないか尋ねるものだった。私が会社員として仕事をしていることを知っているから、迷惑にならない時間を狙って電話をしようと事前に連絡をしてきたのだろう。

私は仕事が終わる時間を返信して、スマホを鞄に仕舞った。年末年始の休みを控えて、片づけなければならない仕事が山積みになっている。しかし、彼女のLINEを読んでから何も考えられなくなった。パソコンの画面を睨みながら右肘を机に置き、頬杖をついた。

木山は、車いす陸上の短距離選手だ。

10年ほど前、国内のパラ陸上競技大会で彼女が走る姿を初めて見た。華奢な腕が印象的だった。その腕は、隣のコースを走っている選手と比べるとずっと細く、筋肉も少ないように見えた。

木山は、両腕を後ろに引き上げて振り下ろし、黒いグローブを嵌めた手で競技用車いす(レーサー)の車輪の外側についている漕ぎ手(ハンドリム)を押し出した。漕ぎ手から手を離すと、再び両腕を引き上げて、振り下ろした。その動作は力強いようには見えなかった。しかし、繰り返しハンドリムが押し出されるたびに、車輪の回転数が上がったのが分かった。1回、1回のリズムよく押し出す動きで、確実に速度を上げていた。華奢な腕のどこから速度を上げる力が湧き出してくるのか、不思議だった。

国内の大会で、競技終了後に木山に話を聞くようになり、トレーニングの模様を取材させてもらったこともあった。

木山の障害は、進行性の病に因るものだと聞いていた。

筋トレをしても、筋肉がつきにくい。より速く走るためには筋トレや走り込みなどが必要だが、それらは身体に負荷を掛けることにもなる。負荷の掛け具合によっては体調を崩すことがあるため、木山はトレーニングの内容や分量と体調のバランスを調整しながら、陸上競技を続けている。本格的に陸上を始めた18歳から、キャリアは18年。2012年ロンドン・パラリンピック、2016年リオ・パラリンピックの2大会、彼女は日本代表として出場を果たしている。

2020年まで、残りひと月を切った。

オリンピック・パラリンピックイヤーが間近に迫っている。

木山が私に話したい内容は、予測がついた。

2020年東京パラリンピックで、彼女が出場を目指していた車いすT52クラス100mが実施されないこと。つまり、彼女は東京パラリンピックには出場できないことに違いないと思った。

車いす(切断・機能障害:四肢欠損、関節可動域制限、筋力低下などによる)の選手は、障害の程度によって、T51からT54までの4つのクラスに分けられる。1の位の数字が小さいほど、障害は重い。

木山はT52クラスに属している。

このクラスの競技人口は少なく、国際大会に出場するレベルの選手の数は、両手で十分に数えられる人数だ。そのうえ、2016年のリオ・パラリンピックで引退した選手もいる。2017年にロンドンで開催されたパラ陸上世界選手権では、女子T52クラスの出場選手数が少なかったため、種目は実施されたものの、ノンメダルレース(メダルが授与されないレース)となった。

2020年の東京パラリンピックで女子T52クラス100mを実施種目とするか否かは、国際パラリンピック委員会(IPC)の規定に基づき、2019年にドバイで開催されるパラ陸上世界選手権の状況を踏まえて判断されることになっていた。

パラリンピック実施種目の条件の一つは、国際ランキングの中に4カ国、10人以上の選手がいること。もう一つは、最終エントリーで3カ国、6人以上の選手がいることだった。

しかし、ドバイの世界選手権に出場したのは、日本(2選手)、アメリカ合衆国(1選手)、シンガポール(1選手)、メキシコ(1選手)の4カ国、5人の選手。国際ランキング内にいるのも同じ4か国、5人の選手となった。女子T52クラス100mは、2020年東京パラリンピック実施種目の条件を満たすことができなかった。

出場を目指していた種目が東京パラリンピックで実施されないことについて、木山に正式な連絡があったのかもしれない。私に連絡してきたことを考えると、おそらく、彼女にとって良い内容の連絡ではなかったに違いない。

選手たちがパラリンピックを目指す理由は、オリンピックと同様に、4年に1度開催される世界最高峰の競技大会だからだろう。世界選手権など他の国際大会もあるが、多くの選手がパラリンピックを特別な舞台と位置付けている。

世界選手権は、陸上、水泳など各競技で実施される、1つの競技の国際大会だ。これに対し、パラリンピックは複数の競技が実施される総合大会になる。そのぶん大会の規模が圧倒的に大きく、注目度も高い。

パラリンピックで活躍し、好成績を残すことは、選手の実績になるはずだ。パラリンピックの日本代表に選ばれて活躍するか否かで、その後、所属企業の支援体制などが変わることもあるだろう。パラリンピックには、世界各国の選手たちが調子を上げて、最高の状態で臨んでくる。高いレベルで競い合う醍醐味は、パラリンピックに出場する選手だけが味わえるものかもしれない。

 また、パラリンピックに日本代表選手が出場することは、競技の認知や普及にも影響する。入院中に病院のベッドでパラリンピックの中継を見て、退院後、競技を始めたという選手もいる。

パラリンピックの日本代表になると、テレビや新聞に大きく取り上げられる。街で知らない人から「頑張ってください」などと声を掛けられることもあるだろう。地域の学校に招かれて、児童や生徒から応援メッセージを送られることもある。所属企業で選手の壮行会などが開催されることも多い。応援されることは、気分が悪いものではないはずだ。

木山は、ロンドン、リオに続き、2020年の東京パラリンピックへ、3大会連続出場を目指してきた。自ら出場を辞退したわけではない。競技人口が少なく、IPCの規定を満たさなかったため、出場するつもりだった種目がパラリンピック実施種目から除外されてしまったのだ。

基準は基準、ルールはルール。だから、それらに基づいた決定は受け入れざるを得ない。それは、確かにそうだろう。しかし、たとえそうだとしても、私は彼女に「ルールに基づいた決定だから、仕方がないよ」なんて言えない。

ずっと掲げてきた目標が、消えたのだ。

仕事の区切りがついた後、会社の給湯室で私は木山からの電話を受けた。

私の予想通り、日本パラ陸上連盟の役員から、女子T52クラス100mが2020年の東京パラリンピックの実施種目にはならないという連絡があったと、木山は言った。

2016年のリオ・パラリンピックを終えて、次の東京パラリンピックを目標に掲げてから、木山の頭の中には、競技人口の減少のために、女子T52クラスの種目が実施されなくなるかもしれないという懸念があった。2017年にロンドンで開催されたパラ陸上世界選手権では、出場選手が少なかったために、女子T52クラスの種目はメダルの授与がないノンメダルレースとなった。そのことで、木山の危機感は増していた。

彼女は、自ら女子T52クラスの競技人口を増やそうと動いていたという。同じT52クラスの海外選手とやりとりをし、他に同じクラスの選手がいたら、国際大会への出場を働きかけていこうと話していた。日本のメディアの取材を受ける際に、女子T52クラスの競技人口を増やしていきたいという思いを伝えることもあった。

2019年11月、木山は不安を抱えながら世界選手権が開催されるドバイへ向かった。女子T52クラス100mにエントリーしていたのは4カ国、5人の選手。世界選手権で種目が成立する条件(3カ国、5人の選手が出場)を満たし、メダルが授与される種目として成立した。木山は100mで3位に入り、銅メダルを獲得。日本パラ陸上連盟が2020年の東京パラリンピック日本代表選手推薦の条件として示していた世界選手権4位以内を満たした。

「これで、2020年東京パラリンピックに出場できる」。

そう思った矢先、木山は、記者の取材を受け、ドバイの世界選手権のエントリー状況では、2020年東京パラリンピック実施種目の条件を満たしていないことを知らされた。

「信じられなかったです」。

木山の声は、震えていた。

記者の取材を受けるまで、木山はドバイの世界選手権で種目が成立すれば、東京パラリンピックの実施種目になると思っていたという。

「2020年東京パラリンピックで種目が実施されない可能性が高くなったが、どう思いますか?」という主旨の質問を受けて、一体、何を尋ねられているのか、最初は質問の意味さえ分からなかった。

記者はIPCの規定を満たしていないことを木山に告げた。その説明が正しいなら、女子T52クラス100mは東京パラリンピックで実施されないことになる。受け入れがたい事実を突きつけられ、木山は激しく動揺した。

世界選手権に帯同していた日本パラ陸連のスタッフに尋ねると、記者が説明した東京パラリンピック実施種目の条件について、「知らなかった」という言葉が返ってきた。ドバイから帰国後、木山は自身でIPCの規定を調べ、そこで初めて東京パラリンピックの実施種目の条件を認識したという。

東京パラリンピック実施種目の条件について説明する彼女の言葉の裏側に、感情の大きなうねりがあることはスマホの通話口を通して伝わってきた。

怒り、悲しみ、悔しさ、虚しさ…。

様々な感情が、木山の中で交錯している。それらを一体、誰に向けてよいのか、どこにぶつけていいのか、分からないのだろう。ぶつける相手など見つけられないかもしれない。行き場のない思いが彼女の中に渦巻いているようだった。

もっと怒っていいんじゃないか。もっと泣いてしまっていいんじゃないか。支離滅裂になっても、いったん胸の内に溜まっているものを吐き出してしまっていいんじゃないか。そんなことを思いながら、私は木山の話を聞いていた。

それから、ひと月近く過ぎた。

2019年12月31日、大みそか。あと数時間で、2020年だ。

年が明けたら、新聞やテレビ、インターネットでも、オリンピック・パラリンピックの話題を取り上げるようになるだろう。自分が出場できないパラリンピックの話題を、木山も目にするはずだ。そのたびに、彼女はどう思うだろう。T52の種目が実施されていれば自分も出場していたはずなのにと、悔しさを噛みしめるのかもしれない。

彼女がどうしているのか、気になった。 

私は、LINEで彼女にメッセージを送った。

「由加さんにとって、2020年が良い年になるよう祈っています」

メッセージはすぐに既読になったが、木山からの返信はなかった。

(つづく)

(取材・執筆:河原レイカ、写真提供:小川和行)