走り高跳びF44 鈴木徹選手

(写真提供 MA SPORTS)
(写真提供 MA SPORTS)

「パラリンピックは、ロンドンが本当に勝負だと思います。上位の3選手は2mを跳んできて、勝負どころは2m03、2m05あたりになるかもしれません。その勝負どころで、自分も、ここ一番というジャンプができればいいと思います」。
走り高跳びの鈴木徹選手(32歳、プーマジャパン)は、シドニー、アテネ、北京に続き、4度目のパラリンピックに挑む。
鈴木が、いま、課題としていることは何なのか。
走り高跳びの選手が、勝負どころで最高の跳躍をするには、一体、何が必要なのだろうか。

■ようやく開かれたロンドンへの道

鈴木は、2006年、国内の大会で、走り高跳びF44の日本記録2m00を跳んだ。
しかし、2007年、台湾で開催されたIWAS世界大会で、踏み切りで使う左膝を故障。その後は、左膝の痛みに悩まされてきた。膝の痛みは、天気が悪いときや、疲労が蓄積したときに現れた。日常生活のなかでも、階段の上り下りで膝が気になることがあった。
2011年1月にニュージーランドで開催された世界選手権では、膝に痛み止めの注射を打たなければならない状態になった。

「このままでは駄目だ」。

そんな思いを抱えた鈴木は、ハードルの為末大選手を通じてPRP療法という治療法を知った。PRP療法を受けられる名古屋のクリニックに連絡をとり、治療を決断。治療は効果があり、膝の痛みからはようやく解放された。
2011年12月、鈴木は、UAEで開催されたIWAS世界大会に出場。1m85を跳び、ロンドンへの道が開かれた気がしたという。
しかし、膝の痛みを抱えながら競技をしてきた期間、そして治療に専念した期間は、鈴木の跳躍に影響を与えている。
「膝の痛みで4年間、無理してきた感じがあり、治療で1年間のブランクがあります。2m00を跳んだときの良い跳躍のイメージも忘れているところがあります。まずは踏み切りから、基礎をつくりなおしています。強化というよりも、いったん、ゼロに戻すという段階です」。
2012年5月下旬、鈴木はこう話した。
これまで積んできた練習や経験が役に立たないわけではない。しかし、また、新しい課題は出てくる。
跳躍は常に一定の状態で保てるものではなく、助走が駄目だと思って修正すると、今度は踏み切りが駄目になったりする。そのために、日々、新しい修正をしなければいけないと説明する。
過去3度、パラリンピックに出場経験のある選手が、「基礎からつくりなおす」と話す、走り高跳びの技術。
それは、とても奥深いものだ。

■最高の調和を目指して

「私はよく言うんですけど、足し算ではないんです。もっている技術に何かを付け加えたら、そのぶんだけ良くなるというわけにはいきません。
何かを付け加えたために、その重みのせいで他とのバランスが崩れるわけです。何かを変えたら、別の何かを変えてバランスを調整する必要があります。
選手は、一番良い状態で試合を迎えたい。微調整をしながら、試合のときに一番良い跳躍ができるよう安定させることが大切なんです」
神奈川県立希望ヶ丘高校陸上競技部監督で、鈴木のパーソナルコーチをしている福間博樹氏は、こう話す。
走り高跳びを大まかに表現すると、選手は、助走し、片足で踏み切り、跳ぶ。
空中に上がったとき、バーを落とさない姿勢をつくり、バーを越えて向こう側に降りる。
これらの一連の流れのなかで、さまざまな技術の調和がとれたとき、選手はバーを越えることができる。助走がうまくいかなければ踏み切れないし、踏み切りが悪いと、跳んでもバーに体が触れてしまう。
つまり、良い跳躍をするには、一つ一つの技術を磨くだけでなく、それらの技術の調和が必要になるということだ。
福間氏は、これは走り高跳びに限らず、他のさまざまな競技にも当てはまると説明する。
技術の調和が求められるのは、鈴木も同じだ。
「踏み切りは良くなったが、助走のスピードが足りない」「高さは跳べている気がするのに、バーに体がひっかかる」など、一つの技術を修正しても他の技術との調和がとれなかったり、全体の流れが悪くなったりすることは、鈴木にもある。
選手自身が自分の問題点に気がつき、修正の方向性をつかめればよいが、自分の跳躍を見ることはできない。
ビデオなどを使う方法もあるが、持ち帰って動作の解析が終わるまでの間に、跳んだときの自分の感覚を忘れてしまう。
「助走を少し変えてみた」「踏み切りを少し変えてみた」というとき、その前後で跳躍がどのように変わったのかを、その場で確認できれば、問題点や修正方法をつかみやすい。
そこで重要になるのが、練習のなかで選手の動きをチェックし、問題点や修正の方向性を示すことができるコーチの存在だ。

(つづく)