視覚障害者柔道 米田真由美選手、田中亜弧選手

左から-米田選手-鮫島元成氏-田中選手
左から-米田選手-鮫島元成氏-田中選手

視覚障害者柔道をはじめて見た時、国内トップレベルの選手のスピード、力強さ、対戦相手の一瞬の隙を突いて決めた技の美しさに驚き、目を奪われた。
視覚障害者柔道には、「選手が組みあってから試合を始める」、「選手が離れてしまった時は、審判の「待て」がかかり、再び組み合ってから試合を再開する」、「基本的に場外の規程は適用しない」というルールがあるが、これら以外の点は一般の柔道と同じ。
柔道の技について、視覚障害があることで制限されているものはなく、一般の柔道の試合で見られる技を、視覚障害者柔道の試合でも見ることができる。「柔道において、視覚障害は障害ではない」といえるのかもしれない。
視覚障害者柔道の選手たちは、どのように技を磨いているのだろう。
「心・技・体」といわれるが、これらが整えば、試合で勝てるのか。
また、柔道家として強くなるには、何が必要なのか。

ふたりの女子柔道家に注目した。

■こつこつと積み重ねる、努力の米田

三井住友海上あいおい生命に所属する視覚障害者柔道の米田真由美選手(29歳)と田中亜弧選手(23歳)。ふたりは、ともにロンドンパラリンピック出場を目指していた。
ふたりを指導している筑波大学付属高校の鮫島元成氏は、米田について「極端な言い方になりますが、センスはない選手です。でも、僕はこれを良い意味でとらえているんです」と話す。
柔道において、立ち技はセンスで決まり、寝技は地道に練習して上手になるものといわれている。鮫島氏は、米田に、立ち技について何度も同じ注意を繰り返してきた。米田は指導されている事を理解しているが、それをすぐに身体で形にできるタイプではない。
しかし、彼女は、こつこつと練習を積み重ねる。筑波大学付属高校の道場で高校生たちと一緒に練習するときは、一番に声を出し、皆を引っ張っている。練習熱心な姿勢や、人一倍の努力は、高く評価されている。
米田自身、自分の柔道の弱みをとらえて、練習に励んできた。
過去2大会、アテネ、北京のパラリンピックには出場できなかった。北京への挑戦を終えたとき、米田は、鮫島氏と、ロンドンまでの4年間について話しあった。立ち技のセンスはないことを踏まえ、寝技の強化に取り組むことに決めたという。
ロンドンは20代で出場できる最後のチャンス。3回目の挑戦で、なんとしてもパラリンピック出場という夢を叶えたい。米田にはロンドンに掛ける強い思いがあった。
練習の成果は、北京から約2年後、2010年12月に中国で開催された広州アジアパラリンピック競技大会で現れはじめた。米田は、タイ代表、モンゴル代表の選手をいずれも寝技で破り、銀メダルを獲得。2011年4月のIBSA世界選手権でも、団体戦で寝技を決めることができた。
積み重ねた練習は、確実に力になっていた。

■荒削りだが、センスが光る田中

鮫島元成氏努力の米田に対し、田中はセンスが光る選手だ。
頭でイメージしていてもなかなかできない身体の動きを、ふいに実現できたりする。
鮫島氏は、田中について「柔道は荒削りですが、繊細さを磨いていけばよい選手に成長すると思います」と話す。
今後の成長に期待を寄せているが、鮫島氏は、一度、 田中を怒ったことがあった。
「遅刻をしてきたのか、練習ができるのに見学をしていたか、そんなことがあったんです。そのときに、“そんな練習量では強くなれないから、もう、辞めたらいいんじゃないか”と言いました」。
柔道では、多少の怪我は付き物。大きな怪我でなければ、どの選手も怪我と付き合いながら練習している。
ところが、田中には、「怪我があるから、練習は休めばいい」という姿勢があった。手を抜いていたわけではないが、そのような姿勢では強くなれない。道場で一緒に練習している高校生たちにも、そのような姿勢は受け入れられない。鮫島氏には、そんな思いがあった。
鮫島氏の一言は、田中を変えた。
「それから、田中は変わりましたね。練習をするようになりました。転機だったと思います」。
田中もまた、パラリンピック出場を目標に掲げていた。

ロンドンの日本代表選考大会で対戦するのは、同年代の半谷静香選手(23歳)。2011年11月に開催された全日本視覚障害者柔道大会では、半谷が延長戦(ゴールデンスコア方式)で田中を破って優勝している。
選考会での半谷との対戦に向けて、田中は、自分の課題をスタミナだと考えた。延長戦になっても戦いぬけるようスタミナの強化に取り組んだ。

半谷の強みは、左の背負い投げ。田中は、これを防ぐための対策を練った。背負い投げに対し、自分の腰を落として寝技に持ち込む流れをつくれるよう練習を積んでいた。

■道はつづく

2012年5月27日、講道館で開催された視覚障害者柔道のロンドンパラリンピック日本代表選手選考会。女子柔道の日本代表枠は-52kg級と-57kg級の2つで、田中は-52kg級、米田は-57kg級にそれぞれ出場した。
田中は、半谷に有効などのポイントを重ねられ、敗戦。米田選手は、払い腰で一本をとり、勝利した。同じ企業 に所属し、鮫島氏の指導のもと同じ道場で練習してきたふたりだが、選考会の結果は明暗が分かれた。
米田は、日本視覚障害者柔道連盟により、ロンドンパラリンピックの日本代表候補選手として選定され、日本パラリンピック委員会に推薦された。日本パラリンピック委員会では7月初旬に、日本代表選手を正式に発表する予定だ。

米田の今後の目標は、「自分の積み重ねてきたことを出しきるような柔道をすること」。同年代のライバルに敗れ、ロンドンには出場できない田中は、これからの成長が楽しみになった。
「柔道とは、文字どおり、“道”である」
米田と田中、そしてふたりを指導している鮫島氏の指導を取材して、そう感じた。
柔道では、自分や相手の強み・弱みをとらえる必要がある。練習への姿勢も問われる。積み重ねていく努力がなければ、技を形にすることはできない。
「心・技・体」といわれるが、「心」の在り方が問われ、「人としてどうあるべきか」を考えさせられる競技だと思う。

ふたりの柔道家にとっては、ロンドンパラリンピックも1つの通過点にすぎない。ロンドンへの挑戦を実りあるものにできるかどうかは、これからが勝負だ。

ふたりの柔道家の前に、“道”は続いている。