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「ノンメダル・レースになったことは、自分にとって衝撃が大きいです。ちょっと先が見えなくなりました」

東京・町田市で開催されたパラ陸上関東選手権で、車いすT52クラスの木山由加選手に挨拶にいくと、「聞いてください」といわんばかりに話はじめた。
色白の丸顔は少し青みがかかっている。7月14日(日本時間15日)からイギリスで開催されるパラ陸上世界選手権に向けて、前日まで和歌山県田辺市で合宿をした後だからなのか疲労の色が滲んで見える。

自分が出場するレースまで時間に余裕がある選手たちは、建物の廊下にビニールシートを敷いて腰を下ろしている。大判のスポーツタオルを体に掛けて横になっている者、すでに始まっている走り幅跳びの跳躍をガラス越しに眺めている者。のんびりくつろいでいる選手たちの群れの一番端に、木山は座っていた。傍に腰を下ろした私の顔をまっすぐ見る瞳が、小刻みに動いている。胸の内で波立つものを抑えるように、声のボリュームを落として一気に吐き出した。

「リオ・パラリンピックの後、海外で2人の選手が引退しました。彼女たちがまた復帰してくる可能性もあるんですけど。でも、今回の世界選手権には、アメリカの選手も出場しないんです」
“ノンメダル・レース”とは、言葉どおり、メダルが授与されないレースを意味する。IPC(国際パラリンピック委員会)の陸上ルールによると、決勝で2カ国以上、最低4選手がそろわないレースはノンメダル・レースとして取り扱われる。

車椅子の選手たちは、障害の程度によってT51からT54までの4クラスに分かれて競技が行われる。一桁の数字が小さいほうが、障害の程度が重いクラスだ。木山が属するT52クラスの女子選手は、海外の選手を含めても競技人口が少なく、国際大会に出ている選手を数えると両手で十分におさまる人数だ。
今夏のパラ陸上世界選手権では、T52クラスの女子選手が4名以上そろわず、ノンメダル・レースになった。レースそのものは実施されて順位がつき、タイムは公式記録となるが、仮に1位でゴールしてもメダルはもらえない。

そのことで、木山の心は、揺れていた。今シーズンは、パラ陸上世界選手権に照準をあわせて準備を進めてきたはずなのに、大会まで残り2週間という現時点で、「先が見えなくなった」とまで口にする。ノンメダル・レースになったことは、彼女にとってそれほど大きな出来事なのだ。
「T52クラスの女子選手は、世界でみても、アメリカ、カナダ、ベルギー、日本から1名ずつくらいしかいません。今は、実施されている種目でも、エントリーする選手が少なくなれば、いずれはパラリンピックでも実施されなくなるかもしれないんです」
木山が言う“先”とは、2020年の東京パラリンピックだ。
どんなに練習を積んでも、自分が立てる舞台がなくなるかもしれない。ノンメダル・レースは、その可能性を想起させる。選手として目指していく“先”が見えなくなるのは、当然かもしれない。

しかし、競技人口はすぐに増えるものではないだろう。現状を変えることは難しい。「自分の出場する種目がなくなるかもしれない」という不安にさらされながら、走るしかないのか。これから先も、国際大会が開かれるたび、選手の人数を気にしながら臨まなくてはならないのか。

私は、木山に尋ねた。
「ノンメダル・レースになったという現実を踏まえて、由加さんは、どうしていきたいと考えているんですか?」
木山は、すでに答えを持っていた。
「私は、走ることが好きなんです。2020年を集大成として競技をしたいという気持ちも変わらないです。自分に何ができるのかを考えた時、やはり選手だから、走ることしかないと思うんです。だから、これからもいろいろな大会に出て、T52の女子選手が存在するということをアピールしていこうと思っています。海外の選手が出場しなければメダル・レースが成り立たないので、海外の選手たちにも一緒に出場しようと声を掛けていきたいと思います」
木山の頬に赤みが差した。
揺れていた心の奥に、揺るがない思いが見えた。

まずは、T52の女子選手の数を増やし、世界選手権、アジアパラゲームスなど、パラ陸上の主な国際大会でメダルが授与されるレースを成立させる。選手数が増えれば、ライバルも増えることになるが、メダル争いを考えるのは後からでも構わない。2020年、自分が立てる舞台をつくるために。

「ノンメダル・レースで、出場する選手がたった一人でも走ることに意味があると思うんです。私が走らなくなったら、T52女子のレースが、その後の国際大会で行われなくなるかもしれない。2020年よりもっと先のパラリンピックを目指すT52の女子選手が出てきても、出場できる種目がなくなっているかもしれないんです。そういう危機感を持ちながら、私は走っています」

2017年夏。
メダルのないレースを走るため、日の丸を身に着けた木山は、ロンドンの競技場でスタートラインに向かう。

(取材・執筆:河原レイカ)