石井氏(写真左)

他の高次脳機能障害のアスリートから、話を聞きたい。
反町公紀の取材を続けているうち、その気持ちが大きくなった。
高次脳機能障害の主な症状には、物の置き場所を忘れたり、同じ質問を繰り返す「記憶障害」、
ぼんやりしてミスが多く、作業を長く続けられない「注意障害」、目的に適った行動ができない「遂行機能障害」などがある。

高次脳機能障害のあるアスリートは、これらの障害とつきあいながら、日頃、どんなトレーニングをしているのか。
競技の目標をどのように立てているのか。
プレッシャーへの対処やモチベーションの維持をどうしているのか。
それらの話を聞いてみたかった。

私が、公紀とLINEのやりとりを続けて1年以上になる。
今シーズンは、パラ陸上の国内大会ごとに目標を尋ねたが、たいてい「自己ベスト更新」と返ってきた。
昨年は「日本新記録」や「優勝」を目標に挙げることが多かったから、今年に入ってからは、自分の実力を踏まえて一つ一つ上を目指す考え方に変わっているようだ。
そうした変化を見つけることは、公紀について知ることにつながっている。
ただ、少し長い時間軸で捉えようとすると、公紀の考えがよく分からない。
陸上競技を趣味の一つとして続けていくのか。
プロのアスリートとして、パラリンピックを目指すのか。
今年20歳になる公紀が、自分の人生の中で、陸上競技をどう位置付けているのか。
LINEのやり取りを読むだけでは、汲み取れなかった。

私自身、20歳の頃を振り返ってみると、その後の人生について、明確な将来ビジョンを持っていたわけではない。
静岡県内の県立高校から国立大学の人文学部に進んだものの、「卒業したら就職するだろうな」とぼんやり考えていた程度だ。
ただ、就職活動を意識する時期に入ると、先輩の話や同級生の考えを聞きながら、自分がどうしたいのか考えていた。
身近にいる人や自分と似たような立場の人が選んだ道は、自分にも可能性がある道のように思えた。

公紀の場合、陸上競技に趣味として取り組むにしても、パラリンピックを目指して取り組むにしても、障害とつきあいながら取り組んでいくことになる。
他の高次脳機能障害のアスリートの経験談を聞いておくことは、私が公紀に関わっていくうえで参考になる気がした。

思い当たる選手が一人いた。
北京パラリンピックの自転車競技で金メダルを獲得した石井雅史選手だ。
私は、一度だけ石井に会ったことがある。
2015年4月、日本パラサイクリング選手権・トラック大会。
競技会場は、伊豆・修善寺のベロドロームだった。
私は、高校卒業まで修善寺の隣町で育った。
東京に出て仕事をするようになってからは、年末年始の休みに帰省する程度だが、伊豆は、私にとって故郷だ。

2016年のリオ・パラリンピックに向けて、いくつかの競技の有力選手を事前に取材しておこうと思っていた。
そんな中、日本パラサイクリング選手権・トラック大会が修善寺で開催されることを知り、実家に近い場所なら出かけてみようと思い立った。

父に車を運転してもらい、会場となっている修善寺のベロドロームに向かった。
修善寺は温泉地として知られており、「伊豆の踊子」を執筆した作家の川端康成の縁の地だ。
歴史を遡れば、鎌倉幕府2代将軍源頼家が幽閉された修禅寺がある。
温泉や文学、歴史だけでなく、修善寺は自転車の町だ。
競輪選手を育成する学校があり、自転車のテーマパーク「サイクルスポーツセンター」がある。
ベロドロームは、サイクルスポーツセンターの隣に立てられた屋内の自転車競技場で、木製のトラックを備えており、国際大会も開催できる仕様になっている。
後部座席に私を乗せた車は、緩いカーブをいくつも回りながら、少しずつ山の上のほうへ上がっていった。
窓の外には、真っすぐ伸びた針葉樹林の林が延々と続いている。
その道は、小学生の頃、家族でサイクルスポーツセンターに出かける時に通った道だ。
4歳年下の妹と、2人で漕ぐ自転車やモノレールの上を走る自転車に乗るのが楽しみで胸を躍らせた。
その頃は、自分がパラサイクリングを取材することになるなんて微塵も思ってなかった。

日本パラサイクリング選手権・トラック大会は、全日本自転車競技選手権大会トラック・レースと併催で行われていた。
出場選手は、大学生やプロの選手が圧倒的に多く、部員か監督らしき人の声援が客席から飛んでいた。
自転車競技の選手のユニフォームは、色使いやデザインが洗練されていて華やかだ。
一般のスポーツ紙の記者やテレビ番組に出ているタレントの姿も見えた。

パラサイクリングの選手は、合計しても10人程度だったが、リオ・パラリンピックに向けたコメントをとろうと取材陣が取り囲んでいた。
私もそのなかに入って、選手たちの話を聞いていた。
石井は、椅子に腰かけて鞄に荷物をまとめていた。
スタッフが近づいてきて、次の合宿か大会の予定か、日にちと場所を伝えていた。
「それ、後で、メールで送ってもらえませんか」
石井は、家族にもスケジュールを伝えておいてほしいと付け加えていた。
「メールで送っておいてほしい」というだけなら、私はそれほど気に留めなかっただろう。
私自身、口頭では忘れそうな伝達事項はメールで送ってもらうように頼むことがある。
履歴が残るメールを、備忘録代わりにしている人は少なくないだろう。

印象に残っていたのは、石井がスタッフに告げた「家族にも伝えておいてほしい」という依頼だった。
その時の私は、「記憶しておくのが難しい人なのだな」と思っただけだったが、今、思い返してみると、石井とスタッフとのやりとりは、彼の高次脳機能障害の特徴を示すものだったのかもしれない。

インターネットで検索してみると、石井は2016年のリオ・パラリンピックに出場した後、パラサイクリングを引退していた。
新聞記事によると、その後、指導者の道に進んだと紹介されている。
私は、新聞記事に記載されていた石井の所属先に連絡を取り、取材を依頼することにした。

(取材・撮影:河原レイカ)