陸上 T46・多川知希選手、義肢装具士・沖野敦郎さん

競技場の画面に映る多川知希選手(写真提供:沖野氏)
競技場の画面に映る多川知希選手(写真提供:沖野氏)

イギリス・スコットランドの最大都市グラスゴー。1月26日、この地で「British Athletics International Match」が開催された。この大会は、2012年夏のオリンピック・パラリンピックで活躍した選手をはじめ、トップクラスのアスリートを招待して行われた室内の陸上競技大会。全21種目のうち、障害者の種目が4種目盛り込まれた。
T46(片上肢切断)60m、T11/T12(視覚障害)60m、T37(脳性麻痺)60m、F44/F46(片下腿切断/片上肢切断)走り幅跳びの4種目のうち,日本人は、T46:60mに多川知希選手、F44/F46の走り幅跳びに中西麻耶選手、佐藤真海選手が出場した。多川知希選手と、サポート役として同行した義肢装具士の沖野敦郎さんに、大会の模様や感想を聞いた。(以下、敬称略)

■イギリスの陸上連盟から招待を受けて

――「British Athletics International Match」は、どのような大会だったのでしょうか?

多川:イギリスの陸上競技連盟(UKA)の主催で、健常者の選手がメインの大会だと思います。おそらく、大会を開催するにあたって障害者の選手も入れてみようということになったのだと思いますが、今年1月に急に、招待をいただいたんです。
僕は会社員なので、突然、休暇を取るわけにもいきませんし、招待を受けたものの最初はどうしようかな…と思いました。
同行するスタッフなしで、選手だけで行くことになっていたので、そこもどうしようかと思って、沖野さんに相談したんです。そしたら、沖野さんが「お金は使うためにあるんだ」と言って。自費で同行してくれることになったんです。

沖野:僕は、以前にも似たような経験をしたことがあるんです。
イギリス・ロンドンでダイヤモンドリーグという健常者の大会を開催しているんですが、数年前に、T44(下腿切断)の春田純君が400mのレースに招待されたことがあったんです。その大会にはオスカー・ピストリウス選手が出場することになっていて、大会の2週間ほど前に、急に、春田君に招待が来たんです。
春田君から話を聞いて、僕は「そんな大会に招待される機会はないから、絶対、行ったほうがいい」と話したら、春田君から「英語も分からないし、一人では面白くないから一緒に来てよ」と言われて。それで同行した経験があるんです。
今回もそうなんですが、こういう大会では、トップアスリートのウォーミングアップの様子が見れるんです。大会の雰囲気も知りたいので、僕も行かせてもらおうと思ったんです。

多川:とにかく招待を受けたら、参加することが大事だと思いました。一度、断ってしまうと、次の機会には絶対に声をかけていただけないと思います。
ただ、1月はまだシーズンではないので、練習の一環という気持ちで走りに行きました。だから、「こう走ろう」とか「ああ走ろう」とか、具体的な目標は持っていなかったです。

沖野:ショー的な要素もある大会でしたね。普通の大会では、試合の直前に選手にインタビューはしないんですが、走り幅跳びでは、試合の前にイギリスの女子選手にインタビューをして、それを会場に流して盛り上げていました。
会場は5000席あるそうですが、ほぼ満席でした。インターネットで調べてみたら、安くても1つの席が日本円で7000円くらいなんですよ。完全指定席で、ほぼ満席になっていて、すごいなと思いました。子どもたちも大勢観に来ていて、お祭りみたいでした。
日本の陸上競技大会では、そういうことはないですよね。

多川:僕の出場経験の中でも3番目の規模の大きさでした。パラリンピックのロンドン、北京、そして今回の大会です。

沖野:多川君は、「優勝しなくてよかった」って、言っていたんですよ(笑)。

多川:優勝すると、カメラマンが寄って来てインタビューされるんです。僕は、英語が全然しゃべれないから、どうしようかなと思って。優勝しなかったから、よかったんですけど(笑)。

沖野:スタートは良かったよね。多川君、前半はトップで。優勝は、イギリスの19歳、Ola ABIDOGUN選手が7.26。多川君は2位で、7.35。

■室内の陸上競技大会を経験して

直線60mのコース(写真提供:沖野氏)
直線60mのコース(写真提供:沖野氏)

――短距離が100mではなく、60mですね。屋外の大会とどんな点が違うのでしょうか。

沖野:屋外の陸上競技場はトラック1周が400mですが、室内は1周200mです。直線のコースは競技場の真ん中にとってある60mを走ります。200mのコースには傾斜がついています。
出場した選手たちも60mを試合で走った経験のある選手はいなかったと思います。配布された選手の資料にも60mのパーソナルベストのタイムは記載されていませんでした。

多川:練習では60mを走りますけど。僕も、試合では走ったことはないです。

沖野:だから、今大会の多川君の記録は、室内60mの日本新記録ですね。
屋外との違いを言えば、トラック競技では、スパイクのピンの長さが、屋外では9mm以下ですが、6mm以下という決まりになっていました(走り高跳びは除く)。
渡航前には5mm以下と聞いていたので、5mmを準備していったんですが、蓋を開けてみたら6mm以下でいいということでした。

多川:僕は直線しか走っていないので、コースについて特に違いは感じませんでした。本当は、違いがあるのかもしれないですけど、気がつく暇がなかったですね。視覚的な違いもなかったです。200mを走った人は、走った時にバンバンバンと音がするので、気になっていたかもしれませんけど…。
スパイクのピンは普段は9mmを使っているので、差がある感じはしましたね。なんか違和感があるというか、慣れていないのもあったと思います。

スタート地点に並ぶ選手たち(写真提供:沖野氏)
スタート地点に並ぶ選手たち(写真提供:沖野氏)

――他の国の選手の動きや走りを見ていて、気がついたことはありましたか?

沖野:ウォーミングアップの動きが速いんです。速く走るための動きをつくるんですが、足を上げる時も、ゆっくり上げて、ゆっくり戻すのではなく、ゆっくり上げても素早く戻す。動きにキレがあると言えばいいんでしょうか。
スタートダッシュは、速く跳び出すことが大切なんですが、足の回転が速ければ、後はパワーをつければいいんです。普段から、一つひとつの動き、各関節の動きを速くすることを主題に置いてトレーニングをしているんだと思います。
足の回転の速い選手は、スピードも速いです。ウォーミングアップの時点で、そこを目指しているんだと思います。

多川:一長一短があるとは思うんです。僕が、海外の選手と同じように練習すればいいかというと、そうではないところもあると思います。

沖野:試合では、イギリスのABIDOGUN選手が、スタートで使っていた台の高さがロンドンパラリンピックの時とは違っていました。ロンドンでは、もっと高い台を使っていたんですが、今回は義手が長くなっていて、それを小さな台に置いてスタートしていました。

多川:義手の選手は、スタートの時に肩の高さをそろえるために、手や義手を置く台を使う選手もいるんです。僕は、台を使わずに、義手の先端を地面に置いてスタートをしています。
ロンドンパラリンピックでも一緒に走ったんですが、今回も、ブラジルの選手2人と、イギリスの選手はスタートで台を使っていましたね。
義手だけで台を使わないのは僕だけでした。単に、他の国では、義手の技術が発達していないというのがあると思うんですけど。

沖野:多川君が使っている義手は、カーボンの細い棒が付いている形になっています。特注で作ってもらったものですが、技術がないとあの形は作れないです。
イギリスの選手は、ロンドンの時よりも、義手を置く台がかなり低くなっていました。義手が長くなったということです。地面に届くまで長くはないので、小さな台に置いていましたけど。
僕は、最近、別の日本人ランナーの義手を作ったんですけど、やっぱり義手があったほうが走りやすいと言っていました。スタートだけじゃなくて、義手があるほうが左右のバランスが取れて走りやすいと思いますね。

■さらに速く走るために

多川選手(左)と、ウエイト用義手を手にする沖野さん(右)(撮影:河原)
多川選手(左)と、ウエイト用義手を手にする沖野さん(右)(撮影:河原)

――今大会を通じて感じたこと、吸収できたことはありますか?

多川:あっという間に終わってしまって、走ったという感じがしなかったです。
タイムも特別速かったわけではなく、遅かったわけでもないですけど。本当に、「あっ」という間に終わってしまって、もう1度走ったら、もう少し速いかもしれないです。
でも、僕は、今回、出場したことによって、モチベーションが上がりました。健常者のトップ選手の走りを見て、「ああいうふうに走りたい」と思って。トップ選手とは体のつくりも違いますし、僕は、もっと考えて練習をしなければいけないと思っています。年齢もありますし、練習の内容を選択していかないといけないと思います。

――具体的にどんな練習をしようと思っていますか?

多川:僕は右手がないので、バーベルを上げるようなウエイトトレーニングができないんですが、ウエイト用の義手を作ってもらって、ウエイトトレーニングをやってみようと思っています。

沖野:多川君は、もともと下半身はしっかりしているんですけど、上半身は左右の筋力差がすごくあるんです。北京大会の時と比べたら、左右の差はなくなってはきているんですけど、義手の側(右側)を見ると、運動をしていない人と大差がないくらいの筋肉です。
僕も、やっぱり、左右均等に筋肉をつけたほうがいいなと思っていて。多川君と話をしている中で、「ウエイトトレーニング用の義手をつくれませんか?」という話が出てきました。それで、昔、作った義手を応用して、作ってみました。
今、走る時に使っているのが第3号目の義手なんですが、一番最初につくった第1号の義手に義足用の部品をつけて。それを留めている部品は、東急ハンズで100円で買ってきたものです。ただ、このウエイト用の義手がどこまで持つか(耐久性があるのか)分からないし、使ってみないと分からないですね。
でも、多川君が次のステップに行くためには、間違いなく上半身の左右の均等化だと思います。今まで以上の筋力アップは必要になってくると思っています。彼は、陸上選手の中では華奢なんで、上半身に筋力がついたらもっと推進力が出てくると思います。

――競技用の義手、トレーニング用の義手は、創意工夫でつくられているんですね。

沖野:義手や義足に関して、「こういうことをやってみたい」「ああいうことをやってみたい」という形は、頭の中にできているんです。でも、金銭的な問題で、なかなか具現化できなくて、歯がゆいところはありますね。
多川君の場合は、ウエイトトレーニングをしたほうがいいと思っていて。でも、ウエイトをするためには、そのための義手をつくる必要があります。
僕の勤務先の(財)鉄道弘済会 義肢装具サポートセンターでは、限られた研究費の中で、選手の義手・義足の開発をしています。でも、一企業の予算で対応するには限界があります。義手を使って走っている選手は、日本では現在、多川君1人しかいませんし、1人のために研究費をとるのは難しいところもあります。僕が試したいと思っていることの中には、結果的に要らないものもあるとは思うんですが、それを試すことさえできないのが現状です。
選手個人がお金を出して挑戦するには限界がありますし、研究開発の予算の問題はなんとかならないかと思っています。

――多川さんの今後の目標は?

多川:今年は、世界選手権があって、今回と同じ選手たちが出場すると思います。そこで勝ちたいですね。
僕は、100mを10秒台で走らないと、「陸上をやっている」とは言えないと思っています。200mは21秒台。200mが21秒台出せたら、100mも記録を出せると思います。
まだまだいろいろ試せることはあるし、やるべきことはたくさんあるので、終わりたくはないですね。

(インタビュー:河原由香里)