Dubai 2019 World Para Athletics Championships 2019/11/08 Dubai Club for People of Determination

「スイスでの目標達成はできませんでした。シーズンの前半に2つの山を持ってくるのは難しかったんです」

鈴木は、トラック種目(400m、800m、1500m)とマラソンの両方を走る。トラック種目のうち800mをメイン種目に据え、スタートから序盤の走りが重要になる400mと、800mよりも終盤に加速する力や持久力が必要になる1500mにもエントリーしている。

2019年のシーズンの目標は、いずれかの種目で2020年の東京パラリンピックへの出場権を獲得することだった。

2020年東京パラリンピック日本代表選手の選考は、トラック種目とマラソンそれぞれ条件が示されている(※注1)。

トラック種目は、(a)2019年11月世界選手権で4位以内、(b)2019年1月1日~2020年4月1日のWPAランキングで6位以内、(c)ハイパフォーマンス標準記録突破-など。(a)の条件を満たした選手が最優先となり、(b)の条件を満たした上位選手から選考される。また、同一競技・種目で最大3人の選手までが選考対象となる。

一方、車いすのマラソンは、(A)2019年のWPAマラソン世界選手権4位以内、(B)2020年WPAマラソンワールドカップ6位以内入賞(ただし、すでに2020年東京パラリンピック出場資格を持つ選手を除き上位2人であること)、(C)ハイパフォーマンス標準記録突破などが挙げられていた。

鈴木のいう「山」とは、自身の調子を上げていくことを意味していた。最も良い状態に仕上がる時点を「山頂(ピーク)」に見立て、重要な大会・レースにそのピークを合わせる。大会の開催日から逆算して練習と休暇の計画を立てていく。

まず、鈴木は19年4月のマラソン世界選手権に一つ目の「山」を置いた。結果は3位に入り、車いすマラソンの東京パラリンピック日本代表推薦の基準を満たした。一つ目の山にあわせて、調子を上げることができた。

そして、鈴木はトラック種目でも2020年の東京パラリンピック日本代表選考の基準を満たすことを狙っていた。条件となる世界選手権4位以内に入るには、海外の強豪選手と互角に走れなくてはならない。実力の指標となるのが記録だ。このため、2つ目の「山」を置いたのが、5月のスイスの大会だった。

鈴木は、スイスの大会でトラック種目の800mで日本記録更新を目指したが、マラソン世界選手権の後、1カ月程度の期間で、再び調子を上げることは難しかったという。

2019年の陸上シーズン、9月までに開催された大会や自身の結果の振り返りを求めると、鈴木は記憶を遡りながら、ゆっくりと説明しはじめた。

「夏の時期に少しオフの時期をおくことにして、11月の世界選手権に向けて仕上げていくことにしました」

鈴木は、いつも明確な目標を立てている。2019年のシーズンの目標は、4月のマラソン世界選手権で2020年の東京パラリンピック日本代表推薦内定となる4位以内を獲ること。5月のスイスの大会で800mの記録を更新すること。そして、11月の世界選手権で4位以内。いや、表彰台も視野に入れているかもしれない。

これらの目標達成に向けて、鈴木は緻密な計画をつくり、練習に取り組んでいる。2018年から2019年にかけては、特にスタートから序盤の加速を強化してきた。19年のシーズンは半ばを過ぎ、11月の世界選手権に向けて、スタートからの加速はさらに磨きをかけているに違いない。

各大会の順位や記録で、目標が達成できたか否かは明確になる。目標を達成できても、できなくても、鈴木は各大会の結果を踏まえて、次の大会までの間に何に取り組むべきかを考えている。

5月のスイス遠征では、800mの記録更新という目標は達成できなかった。走った時の感覚は悪くなかったが、記録は目標に届かなかった。鈴木は、その理由について、4月のマラソン世界選手権に調子の山をつくり、その後、スイス遠征までの期間では、次の山をつくることが難しかったためだと分析した。どの程度の期間があれば、次の山をつくることができるのか、予測の精度を高めたようだ。11月のパラ陸上世界選手権に向けた練習の計画を見直し、7月には一度、身体を休める期間を取ったという。

目標を明確にし、計画を立てて、実行する。それができることは、一つの能力だろう。

しかし、目標を立てて計画どおりに実行しても、結果が思い通りになるとは限らない。

自分自身は、これ以上ないと思うくらい努力をしても、他の誰かが自分を上回る成果を出せば、自分には何かが足りなかったということになる。

何に、どこまで取り組めば、十分なのか。

分析の参考となるデータを持っているスタッフや指導者に助言を求めることもあるだろう。しかし、最終的には、選手自身が、いつまでに、何に、どの程度取り組むのか判断することになる。最良の結果を出せると信じて、自分自身の判断を信じて取り組んでいくしかないのかもしれない。

私は、鈴木の胸の内を知りたくて、質問を重ねた。

「今年は、2020年の東京パラリンピックの前年ですね。海外の強豪選手たちについて、今年に入ってから、何か感じたことはありますか?」

鈴木の口から、小さな息の塊が漏れた気配がした。

「5月のスイス遠征で、正直、危機感を感じたんです。このままでは勝てないと思いました」

ほんのわずかだが、声の調子が強くなっている。

「中国の選手たちの急成長ぶりに驚きました。異次元の世界というか。アメリカのダニエル選手と肩を並べるくらい速い中国人選手が出てきたんです。中国勢だけでなく、カナダのブレント選手(Lakatos Brent選手)も5000mではむちゃくちゃ調子を上げてきていました。スイスのマルセル(Hug Marcel)選手と、アメリカのダニエル選手、ブレント選手の3人で、5000mのワールドレコードを狙っていて、他の選手は蚊帳の外という状況でした。パラリンピックの前年に、あれだけ伸ばしてきた。来年のパラリンピックになったら、さらに調子を上げてくると思うんです」

鈴木自身も2020年の東京パラリンピックに向けて、強化を進めてきた。4月のマラソン世界選手権で表彰台に上がり、結果も残している。それでも、はっきりと、「このままでは勝てない」と感じたという。一体、何が、鈴木にそう思わせたのか。

「鈴木さんも力を伸ばしていたのではないですか。中国の選手は、それ以上だったということですか?」

「何と言ったらいいのか…。中国勢は放っているオーラが違ったんです」

鈴木の声は、さらに熱を帯びた気がした。

「…オーラ?」

口には出さず、頭の中で聞き返した。

オーラとは、生き物が身体から放つエネルギーのようなものだろう。科学的に検証できるものではないと思う。漫画であれば、登場人物の身体が深紅の炎か、虹のような閃光でもまとっているように描かれるかもしれない。ただ、鈴木が感じた中国人選手の「オーラ」がどのようなものなのか、よく分からない。

私は、質問を重ねた。

「オーラを放っていた中国の選手たちは、日本人の選手と比べて、一体、何が違ったんですか」

鈴木は、少しの間、黙っていた。自分で感じたものを表すのにふさわしい言葉を探しているようだ。

「…やっぱり、覚悟がある。彼らは、生活が懸かっている。それくらいの覚悟をもって競技をしていたんです。そういう雰囲気を、すぐ傍で見ていて感じたんです」

私は、パラスポーツの競技団体関係者から聞いた話を思い出した。中国では、パラリンピックの代表選手になると高額な報酬が与えられる。メダルを獲得すれば、さらに手厚く待遇される。代表選手になれるか否か、メダルを獲得できるか否かで、選手個人の生活はもちろん、人生さえも大きく変わる。そのため、中国人選手たちは自身の人生を好転させようと、必死に競技に挑む。日本人選手と比べると、「ハングリーさ」が違う。そんな話だったと記憶している。

2020年の東京パラリンピックが近づいてきて、中国人選手たちはこれまで以上に必死になっているのかもしれない。同じレースに出場していた中国人選手の雰囲気、気配から、鈴木は、彼らの変化を感じ取ったのかもしれない。

「正直、自分はこのままじゃいけないと思いました。安易な気持ちで2020年を迎えられないと思ったんです」

自戒を込めて、噛みしめるように鈴木は続けた。

海外の強豪選手と自分を比較して足りない点や課題を話したことは、これまでもあった。鈴木は自身の課題について、レーサーで出す最高速度やタイムなど客観的なデータに基づいて説明することが多い。課題を解決するために、いつまでに、何に取り組むかも明確だった。

しかし、今日の鈴木は、スイス遠征で肌で感じたことを、そのまま言葉に表している。

海外の選手たちに勝てないことを示す具体的な根拠があるわけではないだろう。急成長している海外選手たちの走りが、鈴木にとてつもなく大きな衝撃を与えたのかもしれない。

今朝、このホテルで待ち合わせた時の鈴木は、これまで私が感じたことのない雰囲気をまとっていた。もしかしたら、鈴木はスイスの大会で中国人選手が放っていたオーラを思い出していたのかもしれない。2020年東京パラリンピックへ向けて、彼らの覚悟のようなものを感じた鈴木は、これまで以上に緊張感を持って日々の練習に臨んでいるのだろう。鈴木が放っていたヒリヒリとした空気。あれは、鈴木自身の「覚悟」が滲み出たものだったのかもしれない。

(※注1:新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、東京パラリンピックの開催は2021年に延期された。

日本パラ陸上競技連盟は、2019年内に東京パラリンピック日本代表推薦を内定していた選手について、原則、そのまま推薦する考えを示している)

(取材・執筆:河原レイカ)
(写真提供:小川和行)