マラソン男子・ゴールテープを切る鈴木朋樹選手

11月15日、午前10時。

快晴の空の下、大分県庁前のスタートラインに、車いす(T53/54)の選手たちが顔を揃えた。最前列に並んでいるのは、パラリンピック出場を狙っている国内トップレベルの選手たち。その後ろには、市民車いすランナーたちの姿も見える。
私は10年ほど前から毎年、この車いすマラソン大会を取材するため大分に足を運んでいる。例年はマラソンがスタートする午前10時に間に合うように、前日夜には大分に入り、駅前のビジネスホテルに1泊する。しかし、今年はそれが叶わなかった。

新型コロナウイルス感染症の影響を受け、羽田から大分に向かう航空便が減便となり、前日の最終便は17時台。この便に乗るのは難しく、前日夜に移動ができなかった。
そこで大会当日、朝一番の便で羽田を発ち、大分に向かった。大分空港に到着したのは午前9時半。空港からマラソンが行われる市街地まではバスで約1時間掛かる。スタート時刻の10時に間に合わないことは分かっていたが、気が急いた。

今年は春から夏にかけてパラ陸上の大会が相次いで中止。9月にパラ陸上の日本選手権が埼玉県熊谷市で開催されたが、私は知り合いに新型コロナウイルスの陽性者が出たため、濃厚接触者には該当していなかったものの、自ら取材を辞退していた。車いすで走る選手たちを観るのは、2020年3月の東京マラソン以来、8カ月ぶりだった。

大分市街地へ向かうバスの座席で、スマートフォンとiPadを取り出した。大分車いすマラソンは地元のラジオ局が実況中継する。今年は沿道での応援について自粛が要請されたこともあり、レースの模様はYOUTUBEでもライブ配信されることになっていた。

画面にスタート地点の大分県庁前が映し出された。幅広い道路の沿道には、例年なら大勢の人が詰めかけている。選手の氏名を書いた幟を手にして所属企業の応援団が沿道の一角を陣取り、大会運営スタッフやボランティアも選手たちに声援を送ろうと並んでいる。沿道から選手が走り出す姿を一目見るには、観戦している人と人の間に自分の体をねじ込まなくてはならないほどだ。

しかし、沿道に人の姿はほとんどなかった。上空から見れば、選手たちが走る車道に沿って歩道がぽっかりと空いて見えるに違いない。タブレットで見ているせいか、仮想現実の中に選手たちがいるようにさえ思えた。

号砲が鳴った。
選手たちが、両手で競技用車いす(レーサー)の漕ぎ手を一気に押し出した。車輪の外側に円周状についている漕ぎ手が、上から下へ半円を描くように動く。漕ぎ手の動きに連動して、車輪が回り始めた。
黒いユニフォームを身に着けている先頭の選手が素早いピッチで漕ぎ手を押し出している。グッ、グッ、グッ、グッと小刻みなリズムで漕いでいる。その一押し、一押しは力強く、漕ぎ手が押し出されるたび、車輪の回転数が急速に上がっていた。

一気に飛び出したのは、東京パラリンピック出場をすでに決めている鈴木朋樹(26歳)だ。昨年よりスタートの瞬発力が高まっているのか、圧倒的な速度で飛び出して、先頭を獲った。鈴木を追いかけるように、他の選手たちがバラバラと動き出したが、スタート直後から後続と数メートルの間が空いた。
例年なら、スイスのマルセル・フグ選手や南アフリカのエレンスト・ヴァン・ダイク選手など海外の有力選手たちがスタートで飛び出す。しかし、今年の大分に彼らの姿はない。
第40回記念大会として開催される予定だった「大分国際車いすマラソン」は2021年に延期となり、今年は日本在住の選手に参加を限定した「大分車いすマラソン」として開催されたからだ。

世界規模の感染症の流行は、100年に1度の出来事だと聞いている。それが今年に起きた。春から夏にかけてスポーツの大会が相次いで中止となる中、私は大分の車いすマラソンも中止になるかもしれないと思っていた。
しかし、大会事務局は、車いすマラソンの選手たちがコロナ禍により日ごろの練習の成果を発揮できる機会がないことなどを考慮、感染対策を徹底することを前提に開催を決定した。例年よりも参加人数は少ないが、それでもマラソン、ハーフマラソンをあわせて99人が出場している。

大分車いすマラソンのコースは、好記録が出やすいコースとして知られている。大分県庁前をスタートし、弁天大橋を上り下りして西へ向かい、5キロ過ぎで一度折り返す。再び弁天大橋を上り下り、別府湾に沿った道路を東へ向かって真っすぐ走る。
途中、箱崎駅付近のテクニカルコースと呼ばれるエリアは、道幅は狭くなる。曲がり角が多いため、コースから外れないように注意する必要もある。選手同士の接触を避けるためにも減速する必要があるが、それ以外の道は比較的真っすぐでスピードを出しやすい。弁天大橋、大野川大橋の下りを利用して加速することもできる。
実際、車いすマラソン男子の世界記録1時間20分14は、1999年にスイスの選手がこの大分のコースで出した記録だ。昨年の大分では、女子選手が世界新記録を出している。

先頭を走る鈴木の後ろに、追いかけてきた西田宗城(36歳)がついた。
カメラが捉えているのは先頭の2人。後ろの選手たちの姿は見えない。
車いすの選手は、マラソンなど長距離を複数人で走る際に、前方から後方に縦1列に並んで先頭を交代しながら走るローテーションを採ることがある。選手それぞれが単独で走ると風を身体に受け、体力の消耗につながるが、互いに協力して先頭を交代しながら走るローテーションは風を避け、体力を温存することができる。

スピードを上げるうえでもローテーションは有効だ。力のある選手が複数人でローテーションを組むと加速に勢いがつく。速度をぐんぐん上げて、後ろから追いかけてくる選手たちとの差をつけ、上位争いをするライバルの人数を減らすこともある。
ただし、ローテーションは、同様の速度で走れる選手同士でないと成り立たない。また、ローテーションを組むかどうかは、レース中の選手同士の意思疎通も重要になる。一定の距離をローテーションで走った後は、誰が、どの地点でローテーションの列から飛び出すか駆け引きだ。先頭集団を走っている選手の一瞬動きの変化、速度の上げ下げを見逃さないよう私は画面を注視した。

鈴木は、西田に自分の前へ出るように促した。ローテーションを組もうという意思表示だろう。しかし、正面のカメラがとらえた西田の顔は苦しそうだ。追いついたのが精一杯で、前へ出ていく様子はない。
スタートから5キロ過ぎ、鈴木がスッと前方へ出た。鈴木が速度を上げたのか、西田がついていくのを諦めたのか、2人の間の距離がみるみる開いていく。先頭は鈴木一人になった。日本新記録を出しそうなハイペースだ。

黒いウエアの鈴木が、2度目の弁天大橋に差し掛かった。この橋の歩道は例年、車いすマラソン当日、観戦する人で埋め尽くされる。早朝の練習を終えた野球少年たちがユニフォーム姿で並んで観ていたり、小さな子どもの手をとって選手たちを応援する夫婦がいたりする。
毎年、橋の歩道に観戦に来ている人は、橋の上りでレーサーの速度がやや落ちるため、選手が走る姿をじっくりと見ることができることを知っているのだろう。橋の上からは海に注ぎ込む川の水面も見ることができ、散歩のコースに入れたくなるような眺めが良い場所でもある。
しかし、画面に映し出されているのは、車道を一人で走る鈴木の姿だけだ。実況中継のアナウンサーは、海沿いの道路は例年に比べて風が少ないと伝えている。ただ、歩道に観客がいないぶん遮るものがないせいか、例年より風の通りが良さそうに見えた。

バスが大分駅前に到着した。
時刻は10時半。スタートから30分ほど経過している。車いすのマラソンの男子の日本記録は1時間20分52だ。先頭の鈴木がこのまま日本記録更新のペースで走ると、午前11時20分前後にゴールすることになる。車いすマラソンのための交通規制が行われているため、私は徒歩で陸上競技場へ急いだ。

毎年見ている陸上競技場のゴール地点の光景が、頭の中に浮かんできた。

先頭の選手を迎える白いテープがピンと張られている。電光掲示坂に刻まれているタイムに視線が集まる。

この大分で、車いすマラソンのゴールの模様を、今年も見ることができるのだ。私は、日常を取り戻したような気がした。

狙っていたスタート

「正直、すごく嬉しいです」
優勝した鈴木は、報道陣を前にして、真っ先に喜びを口にした。
いつもの鈴木とは違った。
レースの直後に、「嬉しい」「悔しい」などの感情を表す言葉が、鈴木の口から出てきた記憶がほとんどなかった。これまで取材してきた中で、私は、鈴木を喜怒哀楽をあまり表に出さない選手だと思っていた。

鈴木はどのレースでも明確な目標を立てている。レース後に感想を求めると、自身の目標を挙げて、それをどの程度達成できたか説明する。目標はタイムや、レース中の集団内での位置取りなど具体的に示すことが多い。
もちろん、大分のマラソンでも鈴木の目標は明確だった。鈴木はマラソンとトラック種目(400m、800m)の両方のレースに出場するが、今シーズンは特に100mの走りを強化していた。100mのスタートで飛び出す走りは、マラソンとトラック両方の走りにプラスになると考えていたからだ。大分のマラソンでは、その成果を確認しようとしていた。

東京都内に住んでいる鈴木は、新型コロナウイルスにより緊急事態宣言が出されていた約2か月半、日用品を買い物に出かける以外の外出を控え、屋外での練習も自粛していた。室内でできる身体のトレーニングは継続していたものの、レーサーで走っていなかった。
7月から都内の競技場が開き、屋外で走る練習ができるようになった。久しぶりにレーサーに乗って走ると、最初は体力が落ちていると感じた。ただ、そのことを悲観せず、改めて身体を基盤から作り上げるチャンスにしようと考えたという。

「42.195キロの中で、あのスタートが一番、きつかったんです」
 鈴木の額には、汗が滲んでいた。喜びに続いて、安堵したような響きがあった。

グッ、グッ、グっと小刻みなリズムで漕ぎ手を押し出す。その一押し、一押しは力強く、車輪の回転数が急速に上がった。鈴木のレーサーが前へ前へと進み、風を切っていた。
静止した状態から一気に速度を上げるスタートは、身体に大きな負担が掛かる。体力も消耗する。スタートで力を使うことが、後半の走りに影響する可能性があった。しかし、鈴木は、あのスタートに掛けていたのだ。

鈴木は2019年4月にロンドンで開催されたパラ陸上マラソン世界選手権で3位となり、東京パラリンピック日本代表推薦を内定している。2020年の開催予定が、21年に延期となったが、海外の強豪選手たちを「モンスター」と呼び、パラリンピックを彼らと競いあえる舞台と位置付けている。
「自分が飛び出すことができると、台風の目になれると思います」
モンスターたちと表彰台争いをするには、走りの力が全体的に足りないと考えているが、参戦意欲は満々だ。

鈴木は、大分で100mの走りの手ごたえを掴んだ。溢れ出た喜びの裏には、新型コロナウイルス流行という想定外の出来事が発生し、当初の計画どおりに練習ができない環境に向き合ってきたことが伺えた。
鈴木は大分のマラソンを節目にしばらく休暇を取り、来年に向けた冬季の身体づくりのトレーニングに入る予定だ。異例だった今シーズンの経験も糧にして、自分の力に変える気配がした。(了)

(取材・撮影:河原レイカ)