陸上女子(T11)天摩由貴選手

■ともに走る

確実に力をつけてきた-と話す近藤さん
確実に力をつけてきた-と話す近藤さん

天摩選手のガイドランナー近藤克之さん(30歳、日本大学経済学部・助教)は、中学・高校・大学と陸上部に所属して短距離を走っていた。しかし、視覚障害ランナーの伴走をした経験はなかった。
「伴走なんて誰でもできるだろうと思っていたんです。でも、走ってみたら難しかった。最初は、天摩と手も足もあわせることができませんでした」。
天摩選手は足の回転数(ピッチ)が速く、伴走で走ると、つま先で走っているような感覚を持った。ゆっくりした速度でも、あわせて走ることは容易ではなかった。短距離の速い速度になると、伴走はさらに難しかった。

どこから走りをあわせるか?――。

近藤さんは、まず、下半身の動きからあわせることを目指した。ガイドランナーは選手を引っ張ってはいけないため、真横に並んで走る「並走」を心掛けた。足をあわせ、腕の振りをあわせる練習を重ねるうちに、次第に走りのリズムがあってきたと感じるようになった。
ところが、1年目の記録会以降、天摩選手とともに大会に出場しても、まったく記録が伸びない。2人の走りの感覚はあってきたと感じているのに、記録の上昇は滞り、結果につながらない日々が続いた。

ガイドランナーとしての走りの転機となったのは、2010年12月の広州アジアパラ競技大会だった。
予選を走り終えた時、近藤さんはあることに気がついた。
「中国人選手のガイドランナーが選手の真横ではなく、選手よりも前に出て走っているように見えたんです。選手を引っ張らずに、選手よりも前の位置で併走することで、選手と走るリズムを合わせやすくなるのではないかと感じました」。近藤さんは、自身の走る位置を、天摩選手の「真横」から「少し前」に変更。さらに、ゴールを時計の12時と見立てて10時の方向に上体を向けて、真っすぐ走るように意識を変えた。
腕の振り方も変更した。
天摩選手には、太鼓をバチで打つように前方に腕を出してリズ ムをとるように指示。近藤さん自身は、天摩選手のお腹の位置に向かって斜めに腕を出すようにした。
以前は、手足の動きをあわせることで感覚があってきたと思っていたが、アジアパラを機に伴走の位置や走る時の体の方向、腕の振り方を変えると、これまで以上に走りの感覚があってきた。
天摩選手の伴走を始めて3年目。記録が徐々に伸び始め、2人 は手ごたえを感じ始めた。

■距離感をつかむ

課題はたくさんあるんです-と話す天摩選手
課題はたくさんあるんです-と話す天摩選手

「声」は、視覚障害のある選手を支える重要な要素だ。ガイドランナーは、走りのリズムの調整やゴールの位置を知らせるため、選手に声をかけているが、声の掛け方はさまざまだ。
100mの場合、近藤さんは、「80m」、「90m」、「ゴール」と、最後の10m刻みで声をかけている。
200mでは、カーブの頂点から直線に出るまでの間に5、4、3、2、1と声をかける。直線に出た後はリズムを上げていく意識を持ってもらうため、1、2、3、4、5、6、7、8と声をかける。8の声をかける時、実際の距離は残り50mには届いていないが、残り50mまで来ているイメージで走るように指導している。
200mは残り50mで「50」と一度、大きく声をかけ、最後の20mは100mと同様に80m、90m、ゴールと、10m刻みで声をかけている。
「1つ言っても、1つ忘れる感じになるので、練習するうちに現在のような声かけになりました。足と上体がばらばらにならないように、バランスを崩さないように、意識してもらうために声をかけています」。
ただし、大会では最低限のことを伝えるだけに留めて、ほとんど声をかけない。天摩選手自身に、練習でつかんだ距離感で走ってもらうようにしている。

■目標に向かって

「ずっとロンドンパラリンピックを目指してやってきましたし、近藤先生にも『ロンドンに行きたいんです』ということで伴走をお願いしました。とにかくロンドンを目指してやってきたので、それ以降のことは考えていないです」。
2012年4月、天摩選手は大学4年生になった。大学生活最後の年に開催されるロンドンパラリンピック。彼女は、この目標に向かって走ってきた。
ロンドンパラの出場できる日本代表選手に選ばれるには、国際パラリンピック委員会(IPC)の公認大会で好記録を出しておくことが必要だ。
そしてロンドンパラ出場の選考に関わる最後の公認大会が、2012年3月に開催された第15回九州チャレンジ陸上競技大会だった。
アジアパラを終えた後、2011年の冬季練習では、これまで以上に走り込んだ。ロンドンを意識し、練習の強度を上げた。
九州チャレンジでの記録更新に向け、2011年11月から2012年2月中旬までの練習では、250m+200m+100mのセット走、50mの坂道の往復走などを組み合わせ、さらに腹筋や腕立てなどの補強運動もしっかり取り組んだ。
走りのリズムを整えるため、近藤さんがカウントを数え、さまざまなリズムにあわせて走る練習も取り入れた。そして、大会直前の1カ月はスピードの発揮につなげる練習に費やした。

3月18日。
九州チャレンジが開催された熊本はあいにくの雨模様。
競技場の状態は、走りやすいとはいえないものだった。
結果は、100m13秒66、200m28秒41。13秒台前半、27秒台前半としていた目標には届かなかった。
「自己ベストを更新できなかったので、自分にがっかりしたというのがあります。大会に調子をあわせていましたし、体調も体の動き具合もよかったです。雨が降っていたことや、地面が濡れていたことに特に何も感じませんでした。雨でも記録をださなければいけないと思っていたので、天候のせいではないと思います」。
「100mでは、スタートしてすぐに上体が起き上がってしまったことに原因があると思っています。そのせいで加速につながらなかったんです。いつも、上体がすぐに起きないように我慢するのが課題なんですけど、大会では、自分でも分かるくらいに早い段階で上体が起きてしまいました。200mは、後半で失速してしまいました。スタートは大きな動きができたと思うんですが、後半で失速してしまいました。残り50あたりで、足が止まってしまったんです」。
天摩選手は、こう振り返った。

次に出場するのは、6月2日、3日に開催される日本選手権。目標タイムは、100m12秒50、200m25秒00。これは国際大会で上位入賞者レベルのタイム。周囲にインパクトを与えるような記録更新を狙っている。

(終わり)