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高次脳機能障害のアスリートから話を聞きたいと石井に会いに来た。
石井が所属している藤沢市みらい創造財団は、藤沢駅から徒歩10分程度の秩父宮記念体育館内に事務所を構えている。
その一角を借りて、石井のインタビューをする約束になっていた。
朝の通勤時間帯、電車の遅延などが多少発生しても、十分間に合うよう余裕をもって、私は自宅を出ていた。

準備は整えてきた。
インタビューで聞きたい事柄は箇条書きにして、メールで送付してある。
石井への取材を申し込んだ時にやりとりした財団職員の感じも丁寧だった。
これから、石井に会って聞きたいことを質問すればいいだけなのに、私の足取りは重かった。
気が乗らない理由は、分かっていた。

反町公紀以外の高次脳機能障害者について、私は、よく知らない。
公紀は、目で見た動作を認知するのに時間が掛かる「失認」や、自分の体で再現することが難しい「失行」がある。
耳で聞いた音声が頭の中で言葉と結びつかず、コミュニケーションは文字でのやりとりが必要だ。これらの特徴は、公紀の場合であり、石井と共通する部分があるのかどうかは分からない。
同じ高次脳機能障害でも、公紀と石井とでは、まったく異なっているのかもしれない。
2人の特徴がかけ離れていた場合、私は一体、どうするつもりなのか。

パラリンピックのメダリストである石井の経験談を聞くことが、公紀に関わるうえで参考になるという考えは、浅はかだったのかもしれない。
私は、高次脳機能障害を持つ人たちを一括りにして見ようとしているのではないか。
自分の態度が、とても傲慢なものに思えていた。

秩父宮記念体育館は、ギリシャのパルテノン神殿を思わせる太い柱が印象的な建物だった。
体育館というより、図書館のほうが似合いそうだ。
入口近くの窓口で、石井に取材に来た用件を伝えると、すぐに奥の部屋へ通された。
10人ほどが席についてもまだ十分な広さがある応接室。
蛍光灯の青白い灯りが、部屋をよりいっそう広く感じさせた。
窓の向こうは鼠色の雲に覆われている。
天気は午後から雨が激しくなる予報だ。
こんな天候では体育館を利用する人もいないのだろう。
事務に詰めている職員以外には人の気配がしない。

濃紺のポロシャツ姿で現れた石井は、瞳をくりくりさせている。
名刺を交換すると、目尻に皺を寄せ、口角を上げてにっこりと笑った。
初対面の子どもがすぐに懐いてしまいそうな優しさが滲んでいる。
40代半ばのはずだが、ずっと若く見える。
30代後半で通るかもしれない。
部屋の中が急に明るくなったような気がした。
私の心を覆っていた不安の雲が少し晴れた。
経験談を聞きたいという私の依頼を、石井は快く引き受けてくれたのだ。
とにかく、聞けるだけ、聞いてみよう。
まずは、石井の高次機能障害について詳しく知りたい。
「石井さん、高次脳機能障害の…」
最初の質問を切り出そうとした時、石井の方から、障害を負った経緯について口火を切った。

『怪我をしたのは、2001年に自転車でロードの練習をしていた時です。
競輪選手でしたから、意識を取り戻してからは、いつ現役に復帰できるかばかり考えていました。すぐには乗れなかったんですけど、入院していた病室にも自転車を持ち込んで、傍に置いていたんです。自分がどんな障害を持っているのか、まだ、理解していませんでした。

身体の状態が回復して、競輪学校で自転車に乗って速度を測ってみたんです。
ところがウォーミングアップの時速30キロが出せない。
競輪のコースは、すり鉢のようになっていて、傾斜があるのでコーナーに入った時にスピードを出せなければいけないんです。しかし、スピードを上げてコーナーに入ることができなかったんです。
私が自転車で走る様子を見ていた競輪学校の校医の先生から、脳の画像を持ってくるように言われました。主治医から脳の画像を借りて、校医に見せたら、「脳幹に傷が入っているね。復帰しても、もう一度、転倒して傷が入ったら命の保証ができないよ」と言われました。
その一言は、私にとって、競輪選手の引退を宣告されたようなものでした。

現役に戻る気持ちでいた頃は、良かったんです。
しかし、その希望が断たれてからは、しばらく家に引きこもっていました。
高校時代の友達たちが心配して、週末になると「一緒に自転車に乗ろう」と誘いに来てくれました。家から連れ出してくれたんです。
少しずつ自転車に乗れるようになってきて、そうすると、やはり自転車競技をやりたくなるんです』

最初の質問をしようと私が背筋を伸ばして向き合うや否や、石井は堰を切ったように話し始めた。高次脳機能障害を持つことになった理由、障害を負った当時、どのような状態になったのか。自身の気持ちも含めて詳細に説明してくれた。
私が途中で質問を差し挟む間はなく、石井はどんどん話を進めていく。
しかし、石井は自分勝手に話しているわけではなかった。私の頷きを確認し、メモを取る様子を見ながら、話を続けていた。
私が事前に送っていた取材依頼書を読んで、何を話せばよいか考えてきた結果なのかもしれない。
話の節目に、石井がお茶を口にするタイミングを見計らい、私は自分が気になっていたことから尋ねることにした。

「石井さんの障害の経緯については、よく分かりました。ええっと、まず、障害のことから整理してもいいですか?高次脳機能障害は、人によって現れ方が違うといわれています。石井さんの高次脳機能障害は、どんな特徴があるんですか?」
『集中してしまうと、ずっとそっちの方向に話してしまうんですよ。聞きたいこととずれていたら、言ってください』
石井は、顏をくしゃっとして笑った。
目尻が下がり、笑い皺が深くなった。

『私の場合は、平衡障害があります。
例えば、片足立ちをして目をつぶると、まっすぐ立っていることができず、倒れてしまいます。視覚にも斜視があり、ものが左側に傾いて見えます。
また、乱視のひどい状態で、物が二重に見えるんです。
パラリンピックの自転車競技は2006年から始めて2009年までは、屋外で競うロードの種目に出場していたんです。
しかし、斜視のために他の選手と接触したり、たびたび落車がありました。
それはとても危険なので、2009年以降はトラック種目のタイムトライアル(各選手が同じ距離を走り、タイムを計測して順位を決める種目)のみに出場しています。
それから、記憶障害があります。
短期記憶の障害が重いです。
例えば、電話で誰かと話していて約束事をしていても、忘れてしまいます。

まず、同時に2つのことをするのが難しいです。
相手の話を聞きながら、メモを書くことができないんです。
聞いた後にメモを書こうとしても、「あれ、何だったかな?」と覚えていません。

日付を間違えることがあり、約束した日の1日前に待ち合わせの場所に出かけてしまったこともあります。今日が何月何日なのかは分からなくなりますので、毎朝、新聞の朝刊を見たりして、年月日、確認しているんです』

高次脳機能障害による困りごとについて話しているのだが、石井の話しぶりは、日々の生活の中で起きる何気ない出来事を紹介するように飄々としている。
もし、私自身が、ある日を境に物が傾いて見えるようになり、聞いたことが何だったのか覚えていられないようになったら、どうだろう。
パニックになりそうだ。
怖くて外出などできないかもしれない。
頭の中に浮かぶのは、障害に振り回され、困難に直面して途方に暮れる人の姿だ。
その姿と、目の前にいる石井の姿は重ならなかった。
高次脳機能障害があると分かってから、再び競技を始めることに不安はなかったのだろうか。
私は、石井がパラサイクリングを始めたきっかけを尋ねた。(つづく)

(取材・執筆:河原レイカ)