2021年1月、新型コロナウイルスの感染拡大により、日本国内では2度目の緊急事態宣言が発令された。東京、神奈川、千葉、埼玉の1都3県に続き、大阪、京都、兵庫、愛知や福岡なども対象地域に加わった。これらの地域では、飲食店の時間短縮営業やテレワークの推進、夜間の外出自粛などが要請されている。テレビで流されている政府広報のCMはもちろん、駅構内のアナウンス、商店街のポスターでも、「不要不急」の外出は控えるよう改めて呼びかけられている。

新型コロナウイルス感染拡大が続いていることに伴い、この1年、飽きるほど耳にしてきた「不要不急」という言葉。インターネットで検索すると、「不要」とは必要がないこと。「不急」とは急を要しないこと、今すぐでなくてもよいことを指すと出てきた。不要不急の外出自粛の要請は、特に必要がなく、急がなくてもよい外出は控えてほしいということだ。

「不要不急」の逆の言葉は、何だろう。必要なもの、急ぐものという意味なら、「必要至急」と言えばよいだろうか。あまり馴染みがない。ただ、コロナ禍の前は「不要不急」も、私はほとんど使ったことがなかった。

何が必要か、不要か。急ぐのかそうでないのか。「不要不急」や「必要至急」の対象や範囲は、法律で厳格に定められているものではない。人それぞれの価値観や、時と場合によって、個人に判断が委ねられている

この1年は、感染拡大防止のための「不要不急」を常に意識して、自身の行動を選択しなければならなくなった。仕事だけではなく、私的な事柄でも「不要不急」を念頭に置いて、その都度、どうするか考えている。

例えば、人と会う約束をする時、相手がいつでも会える可能性の高い友達なら、しばらくは直接会うのは控えて、オンラインのやりとりで我慢しようと考える。二度と会えなくなるかもしれない大切な友達だったら、会いに行く選択をするかもしれないが、混雑していない場所や時間帯などを検討するだろう。いったん会う約束をしても、毎日、発表される感染者数や重症者数を確認して、増加傾向になっていたら、キャンセルする可能性もある。

生命や健康より優先されることはないだろう。そう考えるとありとあらゆる物事が「不要不急」の対象に入ってくる。自由な選択を制限されているようで、私は時折、ストレスを感じている。

パラスポーツの選手たちは今、どうしているだろうか。感染対策のために、これまで自由に実施できていたトレーニングやケアが制限されているとしたら、大きなストレスを感じているのではないか。

2020年3月24日、同年夏に開催予定だった東京パラリンピックは1年延期が発表された。大会のスケジュールが改めて検討され、2021年8月24日から9月5日に決まった。

開催が予定されている限り、出場を目指す選手たちは自身の競技日程に照準を合わせてトレーニングを続けているだろう。

身体のバランスや筋肉を整え、力強さや俊敏さを磨くトレーニングやケアは、選手たちにとって「必要」なものだ。開催まで残り約200日となり、トレーニングやケアの充実は「急ぐ」ものといえるだろう。

全盲の陸上選手は、隣を走る伴走者の声で、自身のペースやコースの状況などを確認している。伴走者と共に走ることが競技の前提となっている。一人で取り組むことができるトレーニングもあるだろうが、伴走者と走るトレーニングは欠かせないものだと思う。

車いすバスケやブラインドサッカーなど、チームで行う競技では、コート内で選手同士がパスをするタイミングを図ったり、互いの動きのスピードを共有する必要があるだろう。

選手たちが集まり、一緒に練習する際には、感染対策を徹底して実施しているのかもしれない。

 新型コロナウイルスとの闘いが始まってから約1年が経過し、長期戦になっている。一方で、カレンダーに記された東京パラリンピックの開幕日が迫っている。

 「不要不急」を念頭に置いて感染リスクが高い行動を自粛し、一方で、パラリンピックへ向けては「必要至急」のトレーニングやケアを実施する。選手たちは今、「不要不急」と「必要至急」の両方を考えながら、パラリンピックへ向かって進んでいるのかもしれない。 ( 執筆:河原レイカ)