公紀は、2018年4月から脳梗塞リハビリセンターアスリートクラブの所属選手となった。
2020年東京パラリンピック開催を控えて、IT企業や生命保険会社などの企業が障害者スポーツの選手をアスリート雇用するケースは珍しくはない。雇用形態は個人によって様々で、午前中は出社してオフィスで仕事をこなし、午後からはトレーニングをしているという選手もいれば、ほとんど出社する必要なく、競技に専念すればよいという選手もいる。

公紀の場合は、少し特殊なケースかもしれない。
脳梗塞リハビリセンターは、脳血管疾患等による後遺症がある人を対象にしたリハビリテーション施設だ。
病院を退院した後、リハビリに取り組みたい人が、自費で、針灸士や理学療法士、作業療法士、運動トレーナー、言語聴覚士による施術を受けることができる。

公紀は、週2回、埼玉県大宮市にある脳梗塞リハビリセンターに通い、約2時間、リハビリのプログラムを受けている。
鍼灸師に身体の状態を整えてもらい、理学療法士と言語聴覚療法士によるリハビリを通じて、陸上に必要な身体のメンテナンスやコミュニケーション能力の改善を目指している。
企業にアスリート雇用されている選手と異なるのは、脳梗塞リハビリセンターでリハビリに取り組むことが、公紀の「職務」となっている点だ。

公紀の身体の状態が改善することは、脳梗塞リハビリセンターが提供するプログラムの効果を示すものになるに違いない。
公紀が陸上に挑戦する姿を見て、「私もリハビリを頑張ってみよう」と思う人が出てくれば、PRの役割を果たしているともいえる。

「脳梗塞リハビリセンターアスリートクラブ所属の選手として、自分にどのような責任があると考えていますか?」
私は、公紀に尋ねた。
「サポートいただきの人たち、自分で大会も尽くすということです」

脳梗塞リハビリセンターの関係者は、「サポートをいただいている人たち」。
その人たちのために、「自分が大会で全力を尽くす」ということだろう。

ついさっきまで、食欲に駆り立てられて、カルボナーラを口の中に掻き込んでいた顏が、少し大人びて見える。
間違いなく、公紀は、自分の立場を自覚している。
何をすることが大事なのかも分かっている。

私が、自立について考えたことがあるかと尋ねた時、公紀は「自分からやること」と答えた。
企業の所属選手としての責任については、「脳梗塞リハビリセンターでサポートいただいている人たちのために、自分はパラ陸上の大会で全力を尽くす」と言っている。

これは、「自立」といってもいいのではないか。
私の質問と、公紀の答えが頭の中で行ったり来たりする。

予定していた質問が済むと、公紀は「ふぅ~」と息を吐いた。インタビューのために少し緊張していたようだ。
「うぅー」
スマホの画面に目を落としていた由美さんのほうを見て、何か言いたそうな顏をしている。
由美さんは、公紀の顏を見ながら、「ああ、そうね」と頷いた。

公紀が、ホワイトボードを示しながら、首を捻っている。
身振りで何かを言っているが、私にはまったく意味が汲み取れない。
「何だろう?」
私は、由美さんに通訳を求めた。
「難しかったみたいです」
由美さんが、公紀が言いたいことを汲み取った。

公紀が、自分のスマホの画面で指さしているのは、2つ目の質問だ。
「なぜ、陸上を選んだのか?という質問が、難しかったの?」
「うーっ」
公紀の答えは、「ラグビーができなくなったから」だった。
その答えを導きだすのに、ずいぶん時間が掛かったという。

「あー」
公紀が私に説明しきれない言葉を、由美さんが代弁した。
「選んだというところに引っかかったのだと思います」
事故で障害を負い、幼い時から大好きだったラグビーはできなくなった。
「体を動かしたい」「スポーツをしたい」と思っても、自分の身体の状態は、以前とは大きく異なっている。
どんな競技を、どこで、どんなふうにできるのか、分からない。
そんな状況の中で、母親の由美さんが情報を集め、周囲の人の支援があり、いくつかの条件や環境が重なって、公紀は、陸上を始めた。
公紀にとって、複数の選択肢の中から、陸上を選んだわけではなかった。
自分にできる競技として陸上が存在し、それをすることにした。

公紀は、そもそも「選んでいない」。
だから、「なぜ、パラ陸上を選んだのか?」という質問は、公紀にとって難問になってしまった。
LINEで私の質問を受けて答えに悩み、由美さんに相談して、質問の意図を整理した。

彼の答えは、「ラグビーをやりたかったけど、できなくなったから」だった。
「なぜ、パラ陸上を選んだのか?」という質問の答えを考えた時、彼が言葉にできたのは、ここまでだったのかもしれない。

私は、改めて、気づかされた。
自分の取り組みたい競技を、主体的に選んでいる人ばかりではない。
身体の条件や支援体制、練習環境などがそろって、初めて競技に取り組むことができる。
自分で選んだというより、自分にできる競技が目の前にあったということかもしれない。

競技だけではない。
どの地域で、誰と、どのように日常生活を送るのか。
進学するのか。
仕事をするのか、しないのか。
そうした一つ一つも、個人がすべて主体的に選んでいるわけではないだろう。
選びたいと思うものを、選べないことがある。選択肢そのものが見えていないこともある。
選ぶという意識を持つことなく、自分の前にある一つ一つのものを受け入れていることもあるのかもしれない。
そういう状況のなかにも、自立はあるだろうか。

私が考えていた自立とは、進学で親元を離れて生活することや、就職して経済的に独立することだと考えていた。
自らの意思で、主体的に生活の仕方や働き方を選んでいくことが、その前提にはある。
しかし、自ら主体的に選ぶことが難しい人の自立は、どうなるのか。
自立とは、一体、何だろう。
20歳になった君の取材を続けていく先に、私がこれまで考えていたものとは異なる、新しい自立が見えてくるような気がした。

(取材・執筆:河原レイカ)