ヴィリヤ・チャンチャルンさん(Viliya CHANCHALEUN、愛称:チゴン)

ヴィリヤ・チャンチャルンさん(Viliya CHANCHALEUN、愛称:チゴン)

東南アジアのラオス人民民主共和国から、日本へ。
ヴィリヤ・チャンチャルン(Viliya CHANCHALEUN、愛称:チゴン)さんは、母国であるラオスの視覚障害者教育やスポーツ振興に貢献したいと考え、ダスキン愛の輪基金事業「ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業」第16期研修生として、2014年9月に来日した。同事業の研修は10カ月間おこなわれ、研修生自身が個別のテーマを設定して進めるという特徴がある。チゴンさんは自身の個別研修のテーマの一つとして、障害者スポーツを選んだ。
チゴンさんに、ラオスの障害者スポーツの現状や、帰国後、取り組みたいことについて話を聞いた。
(取材・撮影/河原由香里)

■スポーツが好き

私は、病気のため、14歳から弱視になりました。目に障害がなかった頃からスポーツが好きで、高校生の頃はサッカーの選手をしていました。サッカー以外にも、バドミントン、卓球もしていましたが、目が悪くなってきてだんだんできなくなってしまったんです。
2009年から盲学校でボランティアとして音楽や英語を教えるようになり、2011年からは公務員になり、教師として視覚障害のある生徒を教えています。現在28歳ですが、視覚障害者の教育とスポーツは、僕個人にとってまだ新しいテーマです。
 
ラオスには視覚障害者が通える学校はいくつかありますが、国立の学校は一つだけです。私は、その国立の学校に勤めています。私は視覚障害のある生徒の歩行訓練と音楽を教えていますが、私の学校の生徒や卒業生は、将来、スポーツでラオスの代表選手になる可能性があります。国立の学校ですから、政府の障害者スポーツの担当者と話がしやすいですし、政府に対してさまざまな提案をしやすいと考えています。

ラオスでは、視覚障害者のスポーツは、主にゴールボールと陸上があります。ゴールボールのほうがよく知られていると思います。
昨年、アセアン10カ国が参加した障害者のスポーツ大会(パラゲームス)がミャンマーで開催され、ゴールボールにラオス代表チームが出場しました。今年も年末にシンガポールで開催されるアセアンパラゲームスに参加する予定です。私は、日本から帰ったら選手たちのサポートをしたいと思います。視覚障害者スポーツに対する金銭的な支援を政府に依頼しているところです。

■日本でさまざまなスポーツを経験

ダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業の第16期研修生は、私も含めて6人でした。日本では昨年9月の来日から3カ月間、日本語の勉強をしました。その後の期間は、研修生それぞれが自分で選んだテーマで研修を行いました。

私は、日本で様々なスポーツの体験や見学をさせていただきました。大分県の太陽の家では、車いすバスケの体験をしました。車いすをコントロールしながら、ボールも扱うのはすごく難しかったのですが、シュートを決めることができました。弱視ですのでゴールの位置があまりよく見えないのですが、シュートが何本か決まって、自分でもびっくりしました。
東京の障害者スポーツセンターでは卓球、大阪ではテニス、フライングディスクも体験しました。どの競技も少しずつ体験するかたちでしたが、いろいろなことを考える機会になりました。

昨年秋には、東京の代々木で開催されたブラインドサッカーのワールドカップを観戦することもできました。パラグアイとコロンビアの対戦です。ラオスにはブラインドサッカーのチームはまだないのですが、世界のチームの試合を観戦できてよかったです。本当にすごかったです。

ゴールボールの日本代表チームの練習も見学しました。ゴールボールのテクニックをラオスに持ってかえりたいですが、今回の研修から私が持ってかえれるのは、まだほんの一部にすぎないと思います。特に、日本の女子チームはロンドンパラリンピックで金メダルを獲っていますし、とても高いレベルですから。
ゴールボールについては、国際大会のルールが4年に1度のタイミングで改訂されています。国際大会のルールの変更について情報収集をきちんとして、ラオス代表のチームが対応できるようにしていきたいと考えています。

将来の夢を語るチゴンさん

将来の夢を語るチゴンさん

■視覚障害者スポーツの指導員になりたい

ラオスに帰ったら、私は、スポーツの指導員になりたいです。ラオスでは盲学校の先生や政府の教育省の人が指導員になっています。コーチになるための試験のようなものは特になく、個人の経験を踏まえて指導員になっています。

ラオスの代表チームに指導員とアシスタントと2人がつくとしたら、アシスタントは視覚障害者のほうがよいと考えています。視覚障害のある選手が困っていることを話やすく、モチベーションについてもサポートできますので、そういうかたちにしていきたいと考えています。

視覚障害の選手は、学生の場合は、授業が終わってから練習しています。社会人はマッサージの仕事をしている人が多く、仕事が終わってから学校の体育館に練習しにきます。ゴールボールは学校の体育館でできますが、陸上は学校から離れたスタジアムまで行かなければいけないので大変です。

選手たちは、自分が稼いだお金を使って練習に来ています。学生は、仕事がないので大変です。でも、みんなスポーツが好きですから、頑張っています。国際大会に参加することはとてもよい経験になるので、選手たちは皆、参加したいと思っています。
昨年、アセアンのパラゲームスに、ゴールボールのラオス代表チームが出場した時、テレビのニュースになりました。選手たちの家族や知り合いは、テレビを見てみんな嬉しそうにしていました。
 
私は、視覚障害のある友人と、視覚障害者スポーツの協会をつくろうとしています。昨年、協会のかたちを大まかにつくりました。協会は、ゴールボール、陸上、卓球などさまざまな視覚障害者のスポーツの競技グループが所属するかたちにしたいと思います。
障害者スポーツの中で、特に視覚障害者の競技だけの団体にして、関係者や選手を集めたいと考えています。協会で視覚障害者スポーツについて議論を深めて、サポートの充実につなげていきたいです。

■将来の夢

日本では、視覚障害者や普通の印刷物を読むことが困難な人のためのデジタル録音図書の国際標準規格DAISY(Digital Accessible Information System:デイジー)についても教えていただきました。

ラオスでは、まだデイジーを使っている人はいません。点字の本はありますが、点字の本をつくれる人が一人しかいませんし、つくるのに時間がかかります。点字の本は少ないですし、古くなってしまっているものが多いです。
私は図書館の仕事をして、ラオスでもデイジーを使えるようにしていきたいと思います。

それから、私は、ラオスでは音楽のバンドの部長もしていました。バンドの名前は「Happy Maholy Band(幸せな大きな伝統的音楽バンドという意味)」で、障害者スポーツ大会の開会式など、政府のイベントで演奏しています。音楽の活動もしていきたいですね。

個人的な将来の夢としては、学校の仕事とは別に、自分のビジネスとしてマッサージセンターをつくりたいです。
学生は夜遅くまで勉強すると、自分の仕事はできないです。学校に通いながら、仕事もできるようにしたいです。僕は自宅の近くにマッサージセンターをつくって、夕方からそこでマッサージの仕事ができるようにしたいです。小さな音楽の学校もつくりたいです。

【取材協力】
公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会
NPO法人アジアの障害者活動を支援する会(ADDP)