【連載第3回】
JR岡山駅からタクシーに乗り、大型ショッピングモールやデパートが立ち並ぶエリアを後にした。
車で数分走ると、背の高い建物は見えなくなった。一戸建ての住宅が増えてきて、特に目立った建物がない。
住所は分かっているものの、目的地に辿りつけるかどうか不安になってきた。
住宅に囲まれた路地に入り、タクシーのナビが目的地に到着したことを告げたが、それらしい建物は見当たらない。
広い通りに引き返してもらうと、右手の建物の壁面に目が留まった。
陸上競技用の車いす(レーサー)に乗った3人の選手の写真が、大きく貼り出されている。
飾られている写真の選手は、男子T53クラスの松永仁志選手(パラリンピック・リオ大会日本代表)、T52クラスの佐藤友祈選手(リオ大会・400mと1500mの銀メダリスト)、そしてT54クラスの生馬知季選手だ。
2018年12月。
残り1週間ほどで新年を迎える年の瀬に、私は、生馬が所属する障害者雇用の特例子会社グロップサンセリテの車いす陸上チーム「WORLD-AC(ワールドアスリートクラブ)」の拠点を訪ねた。
生馬が、故郷・和歌山の県庁職員を辞めて、岡山に移転し、グロップサンセリテに入社したのは2015年12月。
ちょうど丸3年が過ぎようとしている。この3年の間に、生馬はパラ陸上の短距離100m、200mで頭角を表わした。
2017年には、ロンドンで開催されたパラ陸上世界選手権大会の日本代表に選出。
世界の舞台で100m決勝に進出し、8位に入っている。
2018年のシーズンは年初に骨折という不運があり、アジアパラ競技大会には出場できなかったが、シーズン最終戦となった日本パラ陸上競技大会を終えた時、生馬の言葉には自信が滲んでいた。
彼は、自分が確実に成長していることを実感していた。
大会前の合宿で、最高速度36キロを体感できたことが自信になったのかもしれない。
しかし、自信の源は、それだけではない気がした。
扉を開けると、すぐに応接スペースがあり、丸いテーブルと椅子が並べられていた。
白い壁には、パラ陸上の国際大会でユニフォームに付けたゼッケンが、パネルにコラージュされて飾られている。
マガジンラックには、松永、佐藤、生馬の取材記事が掲載された雑誌が立てかけられている。
私のような取材者だけでなく、スポンサー企業や地域の支援者なども訪れるのかもしれない。
車いす陸上についてあまり詳しくない人が来ても、分かりやすく説明してもらえそうだ。
応接スペースの右手は、透明の壁で仕切られた室内トレーニング場になっている。
室内でレーサーを漕ぐ練習ができるローラーが置かれており、上半身を鍛えるウエイトトレーニング用の器具が並んでいるのが見えた。
出迎えてくれたのは、World-ACで選手兼監督を務めている松永仁志だった。
「上半身の体格がしっかりしていて、下半身が小さい。体幹が効いて踏んばることができます。陸上をするのに向いている体型です」
松永に、生馬について尋ねると、レーサーを漕ぐのに適した体格を備えた「ポテンシャルが高い選手」という答えが返ってきた。
松永が、生馬と出会ったのは、彼が10代の頃。
和歌山県のパラ陸上関係者に紹介されるかたちで、生馬が松永を訪ねてきた。
その後、生馬は岡山県内の職業訓練校に通うことになり、授業の後に、松永のもとで陸上のトレーニングをみてもらっていた。
卒業後は、和歌山県庁への就職が決まり、生馬は故郷へ戻ったが、陸上の成績は伸び悩んでいた。
松永は、腕組みをしながら、宙を見上げた。
生馬の入社が決まるまでの過程を思い出しているのかもしれない。
「生馬は、思いつきでポンと決断できるタイプではないですね。慎重ですし、何事も決断するのに不安を覚えるタイプだと思うんです。県庁を辞めて岡山に来ることは、一大決心だったと思いますよ」
生馬は、陸上に注力できる環境を求めていた。
県庁を辞める決断をした生馬に、松永は「そこまで覚悟があるなら」と、グロップサンセリテにつないだ。
同社には、パラ陸上T52クラスの佐藤友祈選手の入社が決まっており、続いて、生馬の入社も決まった。
松永も含めて3選手が所属する形となり、車いす陸上の実業団チームWorld-ACを立ち上げることになった。
指導を引き受けるにあたり、松永が、まず、考えたのは、「やるべきことを、きちんとやらせてあげること」だった。
「やるべきこと」とは、選手それぞれに必要な量のトレーニング、必要な休み、食事や睡眠を必要な量を摂れるように整えること。
それに徹底して取り組むことにした。
World-AC所属の選手は、身体の骨密度、筋量、体脂肪などのデータを定期的に測定し、データを蓄積している。
栄養については、各選手が食事の記録を取って栄養士に確認してもらい、栄養摂取の計画を立ててもらう。
ウエイトトレーニング、室内でレーサーを漕ぐローラーの練習、トラックで走る練習、どのような練習を、どの程度、実施したのか記録する。走りのタイムも定期的に計測しておく。これらの様々なデータを、目標と照らし合わせて分析しているという。
車いすの選手にパラ陸上を始めたきっかけを尋ねると、身近で現役の選手が活躍しているのを見たり、練習に誘われたりしたと答える選手が多い。
先輩からレーサーの漕ぎ方や練習の仕方などを教えてもらい、それぞれ工夫を加えてトレーニングをしていくのが一般的だ。
身体、栄養、練習内容やパフォーマンスのデータを細かく記録し、練習内容とその成果を検証する。
栄養指導などは専門家からアドバイスしてもらう。そうしたサポート環境で、競技に取り組めている選手は、ごくわずかだ。
World-ACに所属したことで、生馬の記録は伸びた。
練習環境が整ったことで、ポテンシャルの高い選手の成績が伸びたのは、自然なことなのかもしれない。
(つづく)
取材・執筆:河原レイカ
写真提供:小川和行