室内でトレーニングをする生馬知季選手

室内でトレーニングをする生馬知季選手

【連載 第2回】
「正直、まだ、成長できるという希望を感じています。今は、ワクワクする感じが沸き出ているんです」
2018年9月1日から2日間の日程で、高松市の屋島レクザムフィールドで開催された日本パラ陸上競技選手権大会。
競技を終えた生馬知季選手(World-AC所属)に声を掛けると、こんな言葉が返ってきた。
その言葉には、自信が滲んでいた。
取材者である私にとって、その自信は、まったく予想していないものだった。
2018年のシーズンを振りかえってもらう質問をした場合、「力不足」や「反省」を意味する答えが返ってくるとばかり思っていたからだ。

生馬は、2020年のパラリンピック東京大会での活躍を期待されている選手の一人だ。
2020年までの間に開催される、パラ陸上の主な国際大会は、2018年のアジアパラ競技大会と、2019年の世界選手権大会の2つ。
この2つの大会が、世界トップレベルの選手たちと実戦で競い合えるチャンスになる。

2016年のリオ大会の100m決勝に残った8選手をみると、中国のLIU Yang(銀メダリスト)とCUI Yanfeng(5位)、タイのKONJEN Saichon(4位)、日本の永尾嘉章(8位)とアジア勢が半数を占めている。
2018年のアジアパラ競技大会には、中国やタイの強豪選手が出場する。
彼等は、2020年の東京大会で、レオペッカの連覇を阻もうと狙っている選手たちだ。

決勝のスタートラインに並ぶまで、各選手の雰囲気はどうか。
リラックスしているのか、それともピンと張りつめた緊張を保っているのか。
静止した状態から、最初の一漕ぎをどのように繰り出すのか。
どのようにスピードを上げていき、最高速度に乗せるのか。
最高速度は、どのくらいか。
時計や速度計で測っただけでは、分からない。
映像で走りを見るだけでは分からない。
レースで一緒に走るからこそ、肌で感じるものがある。
それを知る貴重なチャンスを、生馬は手にすることができなかった。

2018年の年明け、生馬は病院にいた。
腕を骨折して、入院。陸上のトレーニングを再開できたのは4月に入ってからだった。
冬から春にかけて、筋力アップなどの体づくりに取り組み、夏から秋にかけて開催される陸上の大会で調子を上げていき、アジアパラ競技大会には心身ともに最も良い状態に仕上げて臨む。
当初に立てていた計画は、崩れた。

パラ陸上競技連盟が示したアジアパラ競技大会の日本代表選考基準には、大会参加標準記録と推薦指定記録の突破が条件に含まれている。記録突破の期間は、2017年1月1日から2018年7月8日まで。
男子T54クラス100mの推薦指定記録は14秒35が挙げられていた。
6月30日、7月1日に東京都町田市で開催された関東パラ陸上競技大会100m決勝の記録は14秒71、翌週の7月7日、8日に群馬県高崎市で開催されたジャパンパラ陸上競技大会100m決勝は14秒84。
生馬は、アジアパラ競技大会の日本代表入りに必要な100m14秒35を突破できなかった。

「アジアパラには出たかったですけど、怪我からの回復が間に合わなかった。
それが、すべてです。出られない悔しさを真摯に受けとめて、次につなげたいと思っています」

屋島レクザムフィールドの駐車場から、選手や関係者を乗せた自家用車が一台、また一台、出て行く。
行き交う人々の邪魔にならないよう、私は、生馬と二人で駐車スペースの端に向かった。
もし、生馬が日本代表選手に入っていたら、競技を終えた後に通過する取材用のミックスゾーンで、テレビや新聞の記者たちから、アジアパラ競技大会にむけた抱負を尋ねられていたに違いない。
大会終了後に、駐車場の片隅で、取材を受けることはなかっただろう。

アジアパラ競技大会について尋ねる質問を口にした後、私は、すぐに後悔した。
怪我のためにトレーニングができない時期があった。
そのために、シーズンを通して目標とする記録に届かなかった。
アジアパラにでられないことを一番残念に思っているのは生馬本人のはずだ。
生馬が「悔しい」のは、当たり前ではないか。
2020年を目指す選手に、「次のチャンスに向けて、頑張る」という以外に、どんな答えがあるだろう。
生馬にとって酷な質問をしてしまった。
しかし、私の質問に「次につなげたい」と答えた後、生馬は、自ら話を続けた。
「今の実力なら、アジアパラに出たとしてもメダルを狙えるかもしれないと思っています。
ただ、間に合わなかったということです。自分に対する、今後の期待を持っています」

日本代表に入れなかった負け惜しみを言っているようには思えなかった。
しかし、言葉に滲む自信の根拠が分からない。
今大会の生馬の100mの記録は15秒71。
優勝はしているものの、記録は良いものとは言えない。
屋島レクザムフィールドのトラックの感触について、車いすの選手たちの多くが「重い」と口にしていた。
レーサーを漕ぐのに力が必要で、スピードが出にくいという感想が多かった。
他の車いすの選手たちの記録を確認しても、好記録は出ていない。
車いすの選手にとって記録を出しにくいトラックだったのだろう。
生馬は、記録とは別に、何か手ごたえを掴んだのだろうか。

「今大会の前に実施した合宿で、自転車でレーサーの前を走って引っ張ってもらったんです。
その時に、初めて36キロ台で走ることができました。これまでだったら、どんなに良い状態でも、絶対に出る速度ではなかったんです」

レーサーの前を自転車で走ってもらう練習は、健常者の冬季競技、スピードスケートのチームパシュートを思い浮かべると分かりやすい。チームパシュートは、3人の選手が整然と縦一列に並び、列を乱さないように先頭を交代して走ることで空気抵抗を減らし、全体のスピードを上げていく。
車いす陸上では、前を自転車に走ってもらうことで空気抵抗を少なくし、後方を走るレーサーの選手がより速いスピードを出せるようにする。自転車に引っ張ってもらい、より速いスピードで走りながら、一漕ぎから次の一漕ぎを繰り出すタイミング、背中や肩、両腕でレーサーを漕ぐ動きの連動、手でハンドリムを押す時の力の入れ具合などの感覚を自分の体で掴みとる。より速いスピードで走る感覚を体で掴むと、自分一人の走りでもそのスピードを出しやすくなるといわれている。

世界トップレベルの選手の最高速度は、時速36キロ前後だ。
時速36キロを出せることは、世界の舞台で戦えることを示す一つの指標になるだろう。
生馬は、時速36キロで走ることができた。
近い将来、自分の走りで、その時速を出せる感触を得たのかもしれない。
(つづく)

取材・執筆:河原レイカ
写真提供:小川和行